安房国清澄寺に関する一考 2

【 清澄寺大衆と周辺の人物 】

はじめに、日蓮大聖人の書簡に登場する清澄寺大衆、及びその周辺に位置すると推測される僧の名を確認してみましょう。

◇聖密房

「聖密房御書」昭和定本「文永11年」、山上弘道氏「文永6・7年」5・6月頃 

これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。

日蓮 花押

聖密房遣之

◇助阿闍梨

「新尼御前御返事」文永12年2月16日

日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我身のとがをばしらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。此由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召て尼御前の見参に入れさせ給ふべく候。

◇伊勢公、円智房、観智房、浄円房

「清澄寺大衆中」昭和定本「建治2年」、山上弘道氏「文永12年」1月11日

抑そも参詣を企て候ば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是の如きは真言師蜂起之故に之を申す。又止観の第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かし(貸)たび候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々に申し候し也。早々に返すべきのよし申させ給へ。

此を申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年三月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房の持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並に少々の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。

◇円頓房、西堯房、道義房、実智房、円智房

「種種御振舞御書」建治元年または建治2年 

皆人をぼするやうは、いかでか弘法・慈覚等をそしる人を用ゆべきと。他人はさてをきぬ。安房国の東西の人人は此の事を信ずべき事なり。眼前の現証あり。いのもりの円頓房・清澄の西堯房・道義房・かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし。此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし。これらはさてをきぬ、円智房は清澄の大堂にして三箇年が間、一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつよまれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候ひけるかいかに。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそおぼすべけれ。

◇明慧房

「光日房御書」建治2年3月

あはれあはれけさんに入てくわしく申し候はばや。又、これよりそれへわたり候三位房・佐渡公等に、たびごとにこのふみ(文)をよませてきこしめすべし。又、この御文をば明慧房にあづけ(預)させ給ふべし。なにとなく我が智慧はたらぬ者が、或はをこつき、或は此の文をさいかく(才覚)としてそしり候なり。或はよも此の御房は、弘法大師にはまさらじ、よも慈覚大師にはこへ(超)じなんど、人くらべをし候ぞ。かく申す人をばものしらぬ者とをぼすべし。

◇道善房、円智房、実城房、浄顕房、義浄房

「報恩抄」建治2年7月21日

故道善房はいたう弟子なれば、日蓮をばにくしとはをぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはな(離)れじと執せし人なり。地頭景信がをそ(恐)ろしといゐ、提婆・瞿伽利(くぎゃり)にことならぬ円智・実城が上と下とに居てをど(嚇)せしを、あながち(強)にをそれて、いとをしとをもうとし(年)ごろの弟子等をだにも、す(捨)てられし人なれば後生はいかんがと疑う。但一の冥加には景信と円智・実城とがさき(先)にゆ(逝)きしこそ、一のたす(助)かりとはをも(思)へども、彼等は法華経の十羅刹のせ(責)めをかほりてはやく失(うせ)ぬ。後にすこし信ぜられてありしは、いさかひ(諍)の後のちぎりきなり。ひる(昼)のともしび(燈)なにかせん。

建治二年太歳丙子七月二十一日 記之

甲州波木井の郷蓑歩の嶽より安房の国東條の郡清澄山浄顕房義城房の本へ奉送す

◇明心房、円智房

「四信五品抄」建治3年4月10日

明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ。国中の疾病は頭破七分也。罰を以て得を推するに、我が門人等は福過十号疑ひ無き者也。

日蓮大聖人の書簡には、師僧である道善房、兄弟子の浄顕房、義浄房をはじめ円智房、実城房、聖密房、伊勢公、観智房、浄円房、円頓房、西堯房、道義房、実智房、助阿闍梨、明慧房、明心房らの名が記されています。

彼らを山川説、窪田説に基づいて天台・台密的な房号と真言・東密的な房号に分類すれば、山川氏のいう「真言宗よりも、天台宗に親しみ多い房号」(山川P86)が円頓房、実智房、観智房、実成房、円智房、浄円房、明慧房、明心房となり、窪田氏のいう「房名については考え方によれば、それらには『智』の字のついたものが多いともいえる。この点を山川氏流にいえば、かえって東密・真言宗的であるともいえる」(窪田P319)房名が円智房、観智房、実智房らであり、聖密房も東密的となります。

他には「五輪九字明秘密釈」を書写した肥前公日吽=法鑁と、納経札に名のある寂澄もおり、窪田氏は両者を東密の法脈と推定されています。