産湯相承物語(12)

12・煩悩無く


 産湯相承は、梅菊女と三国の太夫を夫婦として設定するが、その一方で日蓮大聖人の出生について「男女並座有レ共 無二煩悩一」と表現している。


 表面的な意味としてはこの煩悩なしとの文に続く如蓮華在水の解説のように、日蓮大聖人が煩悩に染まった存在ではないとして神格化を図ったと推測されるが、これを梅菊女と三国の太夫の関係に当て嵌めて文面通りに読めば、梅菊女と三国の太夫は一般に言うところの男女の関係にはないことになるし、そのことは即ち三国の太夫が日蓮大聖人の実の父でもないことを暗示することになる。


 しかしながらこのような理解は、梅菊女が通夜で見た夢が暗示する7歳の娘とその後見人という関係のみならず、三国の太夫の見た虚空蔵菩薩の夢が暗示している養育を託されたという理解と符合する。


 その一方で、三国の太夫について、日蓮大聖人の実の父ではなく養育・後見の役割を担った人と理解することは、実の父を特定する手がかりを失わせることにもなる。つまり、日蓮大聖人の出自の論拠を御書に求める場合であっても、旃陀羅(注1) 、海人(注2) 等の出自に関連すると考えられる記述は、いずれも生育環境に関するものであって、それらを当然の如くに実父の職業に関連したものとして扱うことによっており、仮に、上記の推定のように、御書の記述を養父に関するものと理解すれば、日蓮大聖人の血統を示す御書の記述は何ら存在しないことになり、日蓮大聖人の父親を特定するという作業は振り出しに戻ることになる。

(注1)「旃陀羅」との表現は『佐渡御勘気抄』(全p891)及び『佐渡御書』(全p959)に使用され、『善無畏三蔵抄』(全p883)では「賎民が子」と表現されているが、いずれも真蹟の残っている御書の中には見ることができない。また、旃陀羅の語は、日蓮大聖人御自身の出自を明らかに知っているであろう安房方面に向けられたお手紙に使われており、かつ、「旃陀羅国賊なり」(『性霊集』)との言説を展開していた真言への批判とセットになっていることに注意が払われるべきと考えている。なお、「貧道」との表現は『開目抄』(全p200)及び『種種御振舞御書』(全p913)に見られるものの、これは出家修行の厳しさを意味する言葉であって、文字通りの貧しい身分、卑しい身分を指すものではないと考えられる。さらに「下賤」との表現(全p200、p363、p958)については、「二乗並びに下賤の凡夫」(全p121)との用例を俟つまでもなく、六道の凡夫を意味しており、具体的な出自とは関係しないと考えている。


(注2)『本尊問答抄』(全p370。日興上人による写本が存在している)

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