産湯相承物語(9)
9・虚空蔵菩薩
産湯相承では、日蓮大聖人の生母の梅菊女が日輪(太陽)を懐いて懐妊した夢を見るのに対し、父の三国の太夫は、虚空蔵菩薩がみめよき稚児を肩に立てて連れてきて、授けてくれた夢を見たとしている。
小児を肩に立てることは神聖性を象徴していると考えられることから、父も母と同様に、すばらしい子を授かる夢を見たというだけの話として片付けられてしまいそうだが、虚空蔵菩薩は、梅菊女の通夜の夢にも、日輪を懐く夢にも登場せず、三国の太夫の夢にだけ登場していることからは、梅菊女の通夜でのお告げにも、懐妊にも、直接関わっていないことが窺える。
一方で、この虚空蔵菩薩を、清澄寺において日蓮大聖人に智慧の宝珠を授けた 虚空蔵菩薩と同一人物と想定することは、清澄寺を舞台とする物語ということを考えれば、さほど困難なことではないと思われる。
このように仮定した上で、清澄寺の虚空蔵菩薩とは、道善房の立場に配慮した表現であるという山中講一郎氏の見解 を当て嵌めれば、道善房が三国の太夫に日蓮大聖人の養育を託したと読み解くことが考えられる。
つまり、産湯相承の「虚空蔵菩薩貌吉児ヲ御肩ニ立テ」、「是ヲ汝ニ與ント ノ給ト見テ」との一節が、私には、三国の太夫なる人物が、清澄寺の虚空蔵菩薩こと道善房から梅菊女の懐妊と出産を知らされ、貌吉き小児である日蓮大聖人の養育を託されたことを、さらには三国の太夫が実際の父ではないことも含めて、夢物語という比喩に託して伝えているように思えてならない。