産湯相承物語(3)
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・是生房・蓮長
日蓮大聖人の幼少期の名前は、御実名縁起には記載がなく、日教本は「始メは蓮長」とし、保田本は「始メは是生、実名は蓮長」とする。また、御実名縁起、日教本、保田本ともに、日蓮を実名とするが、保田本においては蓮長についても実名であったとしており、実名という言葉を異なった意味で使用している。
また、御実名縁起 → 日教本 → 保田本と名前に関する記述の内容が増え、詳しくなる傾向にあることからは、順次、附加増広されたとも考えらえる。また、日蓮大聖人の立宗以前の名前については、「是聖房」 が正式な表現(授決円多羅義集唐決・奥書)と考えられ、また、その読み方も「ぜしゃう(ぜしょう)」房であったと考えられることからは、保田本の「是生」は表記を誤って伝えているのではないかとの疑念が持たれることもある。しかし、「是生」と表記するのは保田本だけに見られることではなく、日朗門流に伝わる『当宗相伝大曼荼羅事』 も「仮名ヲ是生房ト申セシ也 是生ト者日ノ下ノ人ト是ノ字ヲ書玉フ」としている。
一方で、日教は『百五十箇条』 において「仮名は是性の御房・実名は蓮長」とし、これ以外にもわずかに年代は下るものの身延に伝えられる『日蓮大聖人五字口伝』 も「建長年中以前ノ御名ハ 仮名ハ是性房 実名は蓮長」として、いずれも「是性」と表記している。
このため保田本が「是生」と記していることは、例えば「富木」を、「富城」とか「土岐」と表現する例や、法華経を「法花経」と書くことのように文字の音を借りた通用か、或いはまた、産湯相承のテキスト成立時において既に「ぜしゃうばう(ぜしょうぼう)」という音しか伝えられておらず、その口承を書き留めた可能性が考えられ、さらに、身延と富士という異なる門流に同じ内容の伝承が残されていることからは、「ぜしゃうばう(ぜしょうぼう)」という音の伝承自体は日蓮門下全般に広く伝えられていたことが窺われる。このため、「是聖」と「是生」の表現の違いを捉えて誤伝と考える必要はなく、また、この相違を以て、産湯相承の成立自体を否定することも早計に過ぎると考える。
なお、「蓮長」の名称については『百五十箇条』に見られるだけでなく、『日蓮大聖人五字口伝』も立宗以前の実名を蓮長としていることから、「ぜしゃうばう(ぜしょうぼう)」と同様に各門流に伝承されていた可能性は高いと考えるものの、文献的にはこの両書以上に遡ることはできないことから、保田本成立の頃における附加の可能性も否定できないと考える。