大難にあう人(教団)にこそ御本尊授与の資格あり(師は弟子のこころに時の到来を感じ出世の本懐を遂げる)
『大難にあうことにより法華経最第一を証明した日蓮大聖人であればこそ、「この本尊をもって衆生を救いますぞ」と宣言できた、即ち大難にあう人(教団)にこそ御本尊授与の資格があるのであり、難なき人(教団)が御本尊を授与しても本尊自体が異形な座配となっていたり、その意味が捻じ曲げられている』
『師匠は不惜身命(法のために身命を惜しまない)の「弟子のこころ」に時の到来を感じ、出世の本懐を遂げられる』ということについて。
戸田先生は質問会で、御本尊について次のように述べられています。
戸田城聖全集 第四巻 和光社刊p10
万年救護の御本尊と申し上げますのは、日蓮大聖人様の宣言書であります。たとえていえば二つあるのです。佐渡始顕の御本尊も宣言書であります。これは三世十方の諸仏に向かって「日蓮はこの本尊をもって、衆生を救いますぞ」という宣言書が、佐渡始顕の本尊です。
また万年救護の御本尊は「おまえたちを、これによって救ってやるのだぞ」という宣言書であります。
一閻浮提総与の御本尊というのは、その奥にもう一段高く、この御本尊をもって「おまえたちはみな拝めよ。この御本尊によれば、おまえたちのいっさいの悩みは解決するぞ」という御本尊です。
以上、引用
では、日蓮大聖人が三世十方の諸仏に向かって「日蓮はこの本尊をもって、衆生を救いますぞ」と宣言された佐渡始顕本尊の讃文を確認してみましょう。
此法花経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之
如来現在猶多怨嫉況滅度後 法花経弘通之故有留難事仏語不虚也
意訳
仏滅後、二千二百二十余年を経過した今、一閻浮提の内に未だ出現したことのない未曽有の法華経の大曼荼羅を、日蓮が始めて図顕しました。法華経法師品に予言された、「如来の現在、釈尊在世ですら此の経を弘める者に対しては、猶怨嫉が多いのである。ましてや如来滅後においては尚更である」との法華経弘通故の大難を蒙って、日蓮が仏語は虚(むな)しからずであることを証明しているのです。
一読して明瞭です。
日蓮大聖人は曼荼羅図顕を表明した後に、大難にあうことにより法華経の経文を証明したことを述べていますが、そこから読み取れる『大いなる意味』ともいうべきもの。
それは冒頭に記した『大難を受け法華経最第一を証明した日蓮であればこそ、「この本尊をもって衆生を救いますぞ」と宣言できた、即ち大難にあう人(教団)にこそ御本尊授与の資格がある』ということでしょう。また、その後の曼荼羅本尊図顕と授与の勢いを拝すれば、『一閻浮提第一の大難にあった大聖人であればこそ一閻浮提第一の聖人としてその内面は昇華され、一閻浮提第一の本尊を顕すに至った』ということがいえるのではないでしょうか。
このような日蓮大聖人の本尊の相貌座配をそのまま写したのが弟子の日興上人であり、そこからは「師匠の御本尊を書写するのが弟子の務めである」ということが読み取れると思います。対して師の一弟子であった五老僧の本尊は「首題下に自己の日号=日昭、日朗等」を書き入れていて、弟子としての書写の範疇を越えているといえ、「師匠亡き後の師匠は我なり」とこちらに=見る人・手を合わせる人に語っているように思われます。
師匠・日蓮大聖人の存命中に、富士日蓮法華衆(熱原法難での農民信徒たち)と共に法難に立ち向かった日興上人。
師匠亡き後に「日蓮聖人の法門は天台宗なり」と、あろうことか晩年の師が一番厳しく破折した宗派を師匠の宗派としてしまった五老僧。
その『異形の信仰』は、皆が合掌礼拝する御本尊にあまりにも明確に顕されたというべきでしょう。
『異形の信仰』は現代においても顕れています。
師の「最後は信心しきった者が、大御本尊様を受持しきった者が、また正しい仏法が必ず勝つという信念であるのでございます」との「永遠の宣言」ともいうべき言葉から、「大」を削ったこと。
日々の祈りの言葉を、日蓮大聖人が強き信仰(信行学)をうながす際に書簡に記し呼称した「一閻浮提第一の御本尊」(全世界で第一の御本尊)ではなく、五老僧の末裔たちが納得理解する「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」としていること。
物理的なものではなく、心とこころのつながりで師と共に生き、師と共に大難の逆風に立ち向かったのは日興上人と名もなき人々であった。その「妙法に生きる純粋なる信仰、こころ」に時の到来を感じて我が「出世の本懐」とされた師の日蓮大聖人。
そうです、師匠は弟子がどのように生きるのか、何を成すのかを見守りながら「その時」を待っているのだと思うのです。
林 信男