【投書】「池田先生『広布開拓』の歴史」を考察するに当たって

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【投書】「池田先生『広布開拓』の歴史」を考察するに当たって

投書者:海外在住SGI会員

池田先生の「人生と広布開拓」の歴史」を拝察するヒントが、「随筆 新・人間革命(“第三の青春″を勇猛精進で 1998.01.04)」に伺えます。

引用:
「十年ごとの人生の来し方と未来の指標:
十歳まで・・・・・平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代  1928.01.02 – 1938.01
二十歳まで・・・・自我の目覚め、病魔との闘い  -1948.01
三十歳まで・・・・仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い -1958.01
四十歳まで・・・・教学の完成と実践の完成  -1968.01
五十歳まで・・・・社会への宣言  -1978.01
六十歳・・・・・・日本の広布の基盤完成 -1988.01

七十歳まで・・・・新しき人間主義の哲理を確立 -1998.01
八十歳まで・・・・世界広布の基盤完成なる哉 –2008.01
このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。」

実際の池田先生「広布開拓」歴史:

1. 1947〜1979年4月:
(*五十歳まで・・・・社会への宣言  -1978.01)
*日本広布基盤のご確立。

2. 第一次宗門問題 1979-1988年
(六十歳・・・・・・日本の広布の基盤完成 -1988.01)
*宗門的日蓮仏法から脱却の下準備(本格的な世界広布・各国訪問ご指導にご専念)
動向:「信濃町執行部(裏切り者7人&これを容認した職員達)」が、池田先生を日本「宗教法人・創価学会」から追放。(日本「宗教法人・創価学会」の運営と決定は、第二宗門体質の「北条→秋谷」へ。その後は、法人運営に特化した東大グループ「原田&谷川」へ)
*池田先生は、SGI会長のお立場で、「SGI世界宗教」の準備に、ご専念。SGI(世界宗教としての日蓮仏法)体制の基礎として、閉鎖的な宗門からの分離独立。(日本創価学会員の混乱を最小限にする深い配慮のもと)世界宗教第一歩確立の教学&各国人材育成にご専念。

3. 第二次宗門問題以降

1)「宗門からの分離独立」の完成、1989-1998年 
(*七十歳まで・・・・新しき人間主義の哲理を確立 -1998.01)
「SGI世界宗教」の基礎となる世界宗教としての教学体系の確立。
「本格的な世界各地域&各国」の訪問・支援にご専念。

2)「第二宗門・信濃町執行部」体質の批判&完全な世界宗教SGI体制の確立へ1999-2008年
(八十歳まで・・・・世界広布の基盤完成なる哉 –2008.01)
「第二宗門・信濃町執行部」は、「面従腹背」で、池田先生の叱責と体質変革を無視する。
3)23世紀までの世界広布展望&後は弟子達の自立と実践に託す。 2009-2023年
2010年5月の池田先生ご登壇終了。
これ以降の「第二宗門・信濃町執行部」は、「僭聖増上慢」体質を明確にし、会員支配に専念。
(*「このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。」)

日本在住「学会員」に見られる一般的な‘誤解“?:

原田学会の現執行部や一般の日本学会員は、島国であるからか、世界各国の「多様性」の認識が皆無のようです。
一方で、未だに「自分達は世界の中心(元祖・創価学会?)」と思い込んでいる?

1.第一次宗門問題 1979-1988年

池田先生が、日本創価を基盤とされていたのは、日本&SGI会長を兼任されていた1979年4月まで。 
1)*池田先生のその後は、「SGI会長専任」。
池田先生は、本格的な世界広布確立の為に、SGI教学の確立と各国会員育成に専念された。
2)*日本SGIの案件は、(他のSGI各国同様に)「日本会員&執行部が自己責任で決めて実行する体制」。
しかし、日本学会員には、この変化への自覚が無かった。(今まで通りの「池田会長」体質のまま)
同時に、「学会草創期の記憶=日本宗門的信仰」を創価の日蓮仏法と執着し、池田先生のSGI教学の本当の意味が分からない。
3)*池田先生の「SGI教学」は、1975年頃から始まっていた。
これが、古い宗門坊主の嫌悪を起こす。同時に、「宗門的信仰の学会員」にも理解不能だった。
4)海外SGIでも、1960年代から始まっていた当時の「米国(ウイリアムス理事長の独裁体制)」などの「古SGI諸国」でも、この日本的体質を継承。1970年代半ば以降は発展阻害を起こしていた。

2. 第二次宗門問題以降 1989-2023

1)「宗門からの分離独立」の完成、1989-1998年 
「SGI世界宗教」の基礎となる世界宗教としての教学体系の確立。
池田先生は、「本格的な世界各地域&各国」の訪問・支援にご専念。
*しかし、草創期からの日本学会員は、池田先生は日本学会員を直接指導して下さっていると誤解。
*日本SGIの組織運営も、本来は、「民主的な新興SGI諸国」同様に、ボトムアップ(会員の意見を聞き、地域ごとに活動を決め、自立主体的な活動。)で、無駄な悪習の組織活動=「自行化他」の根本以外は見直し(選挙支援など)と改変は必須であった。

2)「第二宗門・信濃町執行部」体質の批判&完全な世界宗教SGI体制の確立へ1999-2008年
「第二宗門・信濃町執行部」は、「面従腹背」で、池田先生の叱責と体質変革を無視する。
*この時点でも、日本学会員には、池田先生のSGI教学の深い理解と活動への応用の自覚が、浅かったのでは?
3)23世紀までの世界広布展望&後は弟子達の自立と実践に託す。 2009-2023年
2010年5月の池田先生ご登壇終了。
これ以降の「第二宗門・信濃町執行部」は、「僭聖増上慢」体質を明確にし、会員支配に専念。
*この時点でも、一般的な日本学会員に、「自分達が自立して、トップダウン型の活動を根本的見直し」の自覚が欠けていた。

【資料】

第三の青春″を勇猛精進で 1998.1.4  随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

新しき年。偉大な境涯の旭日は昇る。  正月二日――。東京牧口記念会館にて、敬愛するわが友と、「民衆勝利の年」の出発を飾ることができた。 
この日は、私の七十歳の誕生日である。個人的なことながら、世界の同志が祝福してくださった。申し訳なく、また嬉しい。 
小説『新・人間革命』第一巻の単行本も、この日付で発刊。少しでも皆の励みになればと願う。出版の労をとられた関係者の方々、そして、読者の皆様に心から感謝申し上げる次第である。

かつて、三十歳の誕生日を約一ヶ月後に控えた、懐かしき日記に、私は、こう記していた。 
「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」(一九五七年=昭和三十二年十二月四日) 
病弱のため、医師から、三十歳まで生きられないだろうと言われたわが生命。 
戸田先生はそんな私を誰よりも心配され、厳愛の指導を続けてくださった。 
激しき法戦の明け暮れ。病に苦しみ、疲労困憊した私に、先生は言われた。 
「三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊にぶつかれ! そして、すべてを打開せよ!」 
「いつ臨終になっても、悠然と、従容たる人生であれ、信心であれ」  生命を貫く、厳父の声であった。 
また、ある時は、「私の命をやろう! 生きぬけ、私に代わって、断じて生き抜け!」とも言ってくださった。

師に生命を吹き込まれ、病魔の宿命に打ち勝ち、迎える三十歳。 
私は、その感慨を胸に、十年ごとの人生の来し方と未来の指標を、さらに日記につづっている。

十歳まで・・・・・平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代 
二十歳まで・・・・自我の目覚め、病魔との闘い 
三十歳まで・・・・仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い 
四十歳まで・・・・教学の完成と実践の完成 
五十歳まで・・・・社会への宣言 
六十歳・・・・・・日本の広布の基盤完成

しかし、日記には、六十歳から先のことは、触れていない。それ以上、生きぬけるとは、とうてい、考えられなかったからである。 
私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢五十八歳が、目前の晩秋であった。 

先生がご存命ならば、間もなく九十八歳。先生の命を分けていただいての、わが「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。 
かのユゴーは、七十歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、七十歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。 
牧口先生は、七十歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論戦の火蓋を切られた。
私の今、『新・人間革命』第八巻の執筆に余念がない。間もなく、連載も再開となる。
ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉。 

七十歳まで・・・・新しき人間主義の哲理を確立 
八十歳まで・・・・世界広布の基盤完成なる哉 
このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。

ゲーテは、七十余歳の詩にうたった。  「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』 
何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ」(「不老長寿の薬」内藤道雄訳、『ゲーテ全集』1所収、潮出版社) 
わが生涯は、広宣流布への大いなる旅路。眼前には、二十一世紀の希望の山並み。 

“第三の人生″とは、”第三の青春″の異名である。
「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』) 
この一年も、勇猛精進の日々をと、断固と誓う。

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