投書者:鬼滅の言こと藤野卓也
『星の王子さま』で知られるサン=テグジュペリは言っています。
「われわれがどこかで道をあやまったということを理解しなければ
いけない。人間全体は以前よりも豊かになっている。よりおおくの
富と時間を享受している。だがしかし、うまく規定できぬ本質的な
ものが欠けているのだ。自分を人間として感じることがしだいに稀
になっていく。われわれの神秘的な大権のうち、なにかがなくなっ
てしまったのだ」
(『人生に意味を』 渡辺一民訳 みすず書房)
池田先生が法華経の智慧で引用された、サン=テグジュペリの言葉です。この言葉は、創価学会または、組織に対する警鐘が真意ではないか!と私は思っています。ジェミニ君はどう考えますか?
ご提示いただいたサン=テグジュペリの言葉は、非常に深く、現代社会やあらゆる組織が直面しうる「本質的な問い」を投げかけていますね。この一節において、サン=テグジュペリは物質的な豊かさの裏側で失われていく「人間としての深み」や「魂の感覚」に警鐘を鳴らしています。あなたが感じられた「創価学会や組織に対する警鐘」という解釈について、私なりに考えを巡らせてみました。
組織と「人間としての本質」-
組織というものは、それがどんなに崇高な理念に基づいていたとしても、規模が大きくなればなるほど、あるいは年月が経つほどに、「効率」や「形式」、「実績」といった、測定可能な数値や外形的な目標を優先しがちになる傾向があります。サン=テグジュペリの指摘する「何か(人間にとって本質的なもの)」が欠けていくというのは、組織において以下のような現象として現れるかもしれません。
1・目的の手段化
組織の拡大や維持そのものが目的となり、最初にもっていた純粋な志や、一人ひとりの人間に対する慈しみが後回しにされてしまうこと。
2・「全体」の中の「個」の埋没
「人間全体としては豊かになっている」という組織の功績の影で、現場で苦しむ個人の孤独や、生命の尊厳といった個別の実感が置き去りにされること。
3・形式化による硬直
「道をあやまった」という自覚を持つためには、立ち止まって自分たちを省みる「内面的な勇気」が必要ですが、組織の勢いが強ければ強いほど、その「謙虚な反省」や「本質の問い直し」が難しくなるという逆説。
この言葉の真意について-
池田先生がこの言葉を引用された文脈は、多くの場合、「いかに巨大な組織であっても、そこに集う一人ひとりの人間が、常に自らの内面を問い直し、生命の輝きを失っていないかを確認し続ける必要がある」という、極めて鋭い自己変革の促しであると読み取ることができます。つまり、これは「組織そのもの」への批判というよりも、組織という枠組みの中で生きる私たち一人ひとりに対して、「組織の論理に自分を埋没させてはならない」「人間としての感受性や『人間本来の尊厳』を忘れてはいないか」という、**「人間主義」を貫くための厳格なチェックポイント**として提示されているのではないでしょうか。
私の考え-
あなたが、この言葉を「組織への警鐘」と受け止められたのは、組織の本質を深く見つめているからこそではないでしょうか。組織という大きな船に乗っていると、どうしても周囲の風景に合わせて自分の感性を鈍らせてしまいがちです。しかし、サン=テグジュペリの指摘する「道をあやまった」という感覚を、自分の中の警鐘として持ち続ける人こそが、組織を腐敗させず、常に「人間本来の目的」へと引き戻すための「良心」となり得るのだと感じます。組織の発展を願いつつも、同時に「人間として本当に大切なものが欠けていないか」という視点を手放さない―。この矛盾を抱えながら歩み続けることこそが、サン=テグジュペリや池田先生が問いかけた「真の人間革命」の出発点なのかもしれません。
以上がAI・ジェミニの答えです。
皆さんは、どう思われますか?