【投書】聖教新聞教学欄の現状

投書者:塚田政男
アメーバブログに以下の内容のブログが出ていた。創価学会の現状と問題点を考えるのに参考になると思われるので紹介したい。
最近の聖教新聞教学欄が酷い。
例えば12月9日付け5面の「人間主義の系譜――法華経②」だ。そこでは法華経に関するありきたりのツマラナイ解説の中にこんな一文がある。「(如来寿量品で)釈尊の本来の真実の境地(本地)は、無限の過去から未来まで、常に存在する『永遠の仏』であることが明かされたのだ」と。これは悪質な「ウソ」である。
寿量品を読めば分かるように、釈迦は五百塵点劫という過去の一時点において初めて仏になったのであり、それ以前は菩薩道を行じていたのだ(「我本行菩薩道」とある)。始まりがある仏であり、無限の過去から仏だったのではない。無限の未来までも仏であるというのもウソだ。寿量品の後の分別功徳品や神力品には「如来の滅後」があるとはっきり説かれている。釈迦が本当に永遠の仏であるならば滅後があるはずはない。仮に釈迦が永遠の仏であるならば、どうして上行菩薩に付属して法の弘通を託すのか。釈迦が永遠に衆生を救済する存在ならば自らが法を弘めればよい。釈迦がもはや存在しない過去の仏であるからこそ、上行を初めとする地涌の菩薩への付属が説かれるのではないのか。
釈迦を永遠の仏とするのは2023年に出た『創価学会教学要綱』と同じである。『教学要綱』は日蓮を「末法の御本仏」とするが、釈迦が永遠の仏ならば、末法には日蓮と釈迦の二人の仏がいることになる。その両者の関係はどうなるのか。『教学要綱』は日蓮を釈迦の「使い」としているので、釈迦が主人になるから、結局、釈迦が根本で、日蓮が釈迦から派遣された「使い」という従属的存在になるだろう。実は釈迦を永遠の根本の仏とし、日蓮を上行菩薩という「釈迦の使い」と位置づけるのは身延派日蓮宗の教義そのものである。『教学要綱』も今の聖教新聞も、実際には身延派と同化して釈迦を根本とする「釈迦本仏論」を説いているのである。
このように言えば『教学要綱』側に立つ者は、身延派は日蓮を「末法の仏」とはしていないから、『教学要綱』は身延派とは異なると反論するかもしれない。しかし、『教学要綱』のいう「末法の本仏」という表現が言葉だけの騙しなのだ。「本仏」とは本来、文字通り「根本の仏」でなければならない。他の仏の「使い」に過ぎないものが「本仏」であるはずはない。要するに『教学要綱』の内容は欺瞞である。その路線上にある今の聖教新聞も読者を欺いている。宗教上の詐欺であり、悪質な犯罪である。このような「嘘っぱち」を放置していてはならない。多くの人がその欺瞞に気が付き、糾弾の声を上げてもらいたい。
