【投書】洗脳のレトリック「創価学会仏」

投書者:石楠花
筆者は以前,「いわゆる創価学会仏について」「続・いわゆる創価学会仏について」と題し,二編の投稿を行った。その中で,「創価学会仏」は小説「新・人間革命」21巻から頻出し,後になるほど,会員を誘導するレトリックが観察されると書いた。レトリックとは聞き手や読み手の感情に強く訴え,納得させ、行動を促す修辞法である。
引用:「お気づきだろうか。最初は「戸田先生がこう言った,表現した」「創価学会仏ともいうべき存在」だったのが,30巻にいたっては,「学会は創価学会仏なればこそ」となっているのだ。この巧みな誘導は,会員に希望を与えるというよりは,創価学会はすごい団体なのだから,そこに従わなければ重罪だぞ,という脅しであり,組織絶対主義への構築を図るものであると思う。」
さて,最近のAIの進歩は目を見張るが,とりわけChatGPTはテキスト分析に優れている。AIには感情はなく,客観的証拠のみで分析を行うので,「新・人間革命」における創価学会仏の記述の変化をAIはどのように分析するか,本当に会員を一定方向に誘導するレトリックはあるのかという点について,試してみたところ,実に興味深い分析をした。ご関心のある方は以下をご覧頂きたい。
私:
例1から例5に挙げたテキストは,「創価学会仏」についての記述です。この記述から著者の「創価学会仏」のとらえ方は,どのように変化していると解釈できるでしょうか。
例1:戸田は、その大聖業を果たしゆく創価学会という教団は、「創価学会仏」であると宣言した(24巻)
例2:創価学会は、仏意仏勅の組織であり、人類の幸福と平和を実現する「創価学会仏」ともいうべき存在である(25巻)
例3:戸田先生は、学会を『仏意仏勅の団体』と言われ、『創価学会仏』とさえ表現された(27巻)
例4:戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した(29巻)
例5:学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない(30巻)
ChatGPT:
この五つの記述を並べて読むと、著者の「創価学会仏」という概念に対するとらえ方が、徐々に説明的・客観的な引用から、理念的・使命的な強調へと変化していることが読み取れます。以下、段階を追って整理します。
【全体の流れ】
第24巻 → 第30巻にかけて、
「戸田の言葉の引用」→「戸田の思想の説明」→「創価学会仏という概念の承継・展開」という方向に進んでいます。すなわち、戸田個人の比喩的表現が、学会全体の自己認識・使命意識へと変化しているのです。
例1(24巻)
戸田は、「創価学会仏」であると宣言した。
→ 著者はここで、戸田の発言事実を報告しています。
「創価学会仏」という語は、戸田の宣言として紹介され、まだ著者自身の評価や説明は控えめです。
➡ 出発点:戸田の表現を記録する段階。
例2(25巻)
創価学会は、仏意仏勅の組織であり、人類の幸福と平和を実現する「創価学会仏」ともいうべき存在である。
→ ここでは、著者自身が説明主体になっています。
「~ともいうべき存在である」と述べており、戸田の表現を引用するだけでなく、著者が「創価学会=仏意仏勅の組織=創価学会仏」と概念的に整理している。
➡ 転換点:戸田の語を理念化・理論化。
例3(27巻)
戸田先生は、学会を「仏意仏勅の団体」と言われ、「創価学会仏」とさえ表現された。
→ 再び戸田の発言として引用しているが、「さえ」という表現により、それが象徴的・特別な意味をもつ発言だったことを強調しています。
➡ 戸田の思想を再評価・再提示する段階。
例4(29巻)
戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した。
→ 簡潔な言い回しで、戸田の表現が既に確立した前提として扱われています。解説的説明はなく、「創価学会仏」という語が当然のように使用されています。
➡ 定着段階:学会における共通理解として浸透。
例5(30巻)
学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。
→ ここでは、「創価学会仏」が宗教的自覚・使命の根拠として用いられています。すでに戸田の語としてではなく、著者自身の確信・教義的主張の中心概念となっています。
➡完成段階:理念が行動と使命を導く原理へ。
如何だろうか。AIはこのようにまとめたのである。つまり戸田先生の比喩的宣言 がいつの間にか理念的説明になり,29巻では 「戸田は、学会を『創価学会仏』と表現した」と,もはや説明を要しない“既知の真理”として扱われていると報告している。さらに,30巻ではもはや戸田先生の言葉から大きく離れ,創価学会仏が行動原理にまでなっていると見抜いている。
こういうことを世間では「洗脳」と言う。会員を誘導するために小手先で書いたこのような小細工は容易く見抜かれる。筆者は「新・人間革命」の後半は池田先生が書いたものではないと確信している。
この後,ChatGPTは時代背景(著者の著作年次や立場の変化)と結びつけて分析をしていて,興味深く読んだが,長くなるのでここには書かないでおく。ご関心があればご自身で試してみて下さい。
*本稿は「いわゆる『創価学会仏』について」https://note.com/okashinaneko/n/nfbb89d4b8604と「続・いわゆる『創価学会仏』について」https://note.com/okashinaneko/n/na0db224f601bの続編です。こちらも合わせて御高覧頂ければ幸いです。

