【投書】謗法を呵責せずして遊戲雑談の創価学会

投書者:石楠花
2025.5.17聖教新聞10面「はなさんキャラトーク」に驚いた。
「我々もみこしを担ぐことが宗教行為だとは考えておらず、あくまで地域の歴史ある行事を続けるために依頼に応じたわけですからね。謗法どころか、むしろこれも良き市民としての広宣流布の一つの形なんです」とある。
神輿を担ぐことが広宣流布の一つの形とは、いかなる文証をもって言えるのか。このハチャメチャな屁理屈は「小説人間革命」の「推移」に描かれた笠原慈行を思い起こさせる。笠原も神本仏迹論というメチャクチャな屁理屈を述べた。曰く「茲に我宗門も、大に目醒めねばならぬ。断じて宗門の維新を行うべきだ。(略)天照大神の御堂を建立すべし、而して教義信条の立直しを実行する。然れば即ち広宣流布の大願も成就するであろう。」
そっくりじゃないか。「宗門から独立したのだから,教義も独立すべきだ。世界宗教たる我が学会は大いに目覚めなければならぬ。断じて改革を行うべきだ。教義信条の立直しを実行する。そうすれば広宣流布の大願も成就するであろう」言っていることは見事に一致する。
笠原の言い分と聖教新聞の屁理屈が共通するところは神道を受け入れている点であり、その先は国家権力への追従である。笠原の場合はまだいい。日蓮正宗は笠原を擯斥処分とし、僧籍を剥奪することに決定したから、自浄能力はあった。さらに,宗務院役員は責任をとって総辞職した。では,聖教新聞はどうか。なんと、神輿を担ぐことを「宗教界の王者の振舞い」としている。宗教界の王者が聞いてあきれる。
「神輿を担ぐことを宗教行為とは考えておらず」とは,創価学会の勝手な言い分である。神社庁は公式サイトで明確に「神輿は神様の乗り物である」と定義しているではないか。創価学会は何を寝ぼけたことを言っているのだ(神社庁が聞いたら怒るよ)。
昨今、公明党議員の神社参拝、神事への参加が目立つようになってきたが、創価学会もついにここまで来た。任用試験範囲から五重の相対がなくなり、謗法のハードルはどんどん低くなっている。さらに教義改定及び「教学要綱」の出版で、学会教学は得体の知れないものになってきた。そもそも信徒が教義を変えて良いはずがない。信徒が変えて良いのは、組織体制と運営方法、布教活動の方法だけだ。信徒が教義を変えて良いのなら、それはもはや宗教ではない。
謗法に寛容になってきたことと、日興上人を三宝から排除したことは、深く結びついていると思う。日興上人の謗法への厳しき姿勢は、邪魔なのだ。一点の妥協もない、一点の曇りもない日興上人の遺言は今の学会に脅威であり、困りものなのだ。
確認のため、ここに記しておく。
一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一一に先師の御弘通に違する事。
一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
一、謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。
一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。
一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き御抄以下の諸聖教を教学す可き事。
一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。
一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。
一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。
一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。
一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。
一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。
一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事。
一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。
一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。
一、衣の墨・黒くすべからざる事。
一、直綴を着す可からざる事。
一、謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事。
一、謗法の供養を請く可からざる事。
一、刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事。
一、若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事。
一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の媱犯有りと雖も衆徒に差置く可き事。
一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事。
右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し。
元弘三年癸酉正月十三日
「日興遺誡置文」(御書新版2195頁 御書全集1617頁)
もはや、現創価学会に宗教的信念は無い!
会員を操作するために宗教を利用しているだけだ。「宗教界の王者」などという似合わない大口は、恥ずかしいから早々に引っ込めて貰いたい。
ここまでくると、踊らせる方も悪いが、踊らされる方も罪は逃れ難しだ。ご本人たちはただの「箱」を担いでるつもりだろうが、実には悪鬼降臨の神体を担いでる事を忘れるなよ!
創価学会は謗法を正当化しています。これを破折しないと,自分まで謗法に賛同したことになります。「世界宗教の王者」などというのは,後の歴史が証明することで,自分でいう事ではありません。
それは創価学会の儚い夢。キリストは「私の教えは世界に広まるだろう。私は宗教界の王者だ」などとは言わなかった。キリストは,目の前の病の人を癒し,石で打たれる女性を守り,貧しい人に手を差し伸べ,それが世界宗教となったのです。世界宗教になることを夢見て,権力に阿る創価学会の幼稚さは見るに堪えません。まったく恥ずかしい。
謗法を主導する馬鹿共ははともかく、与同罪に巻き込まれる会員を救うためにも、追撃の手を進めましょう。
記事中に引用されている神社本庁の「神輿」の定義:
「神輿は、神さまの御霊(みたま)を奉安する乗り物・輿のことを言います。」
【出典】
神社本庁トップ > おまつりする > 神輿・山車 > 神輿とは「神さまの乗り物」
https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/mikoshi_dashi/
石楠花さまコメント返信していただいたのに気付くのが遅くなり申し訳ありませんでした。🙇🏻太田と岡本三成が、キツネのお面とちゃんちゃんこ着て写った写真も拡散されてましたが、私のスマホに電話番号の載っている学会員さん全てに送りつけてやりましたが、返信は来ませんでした。全国幹部や関東の幹部栃木の最高幹部から会員さんに至るまで全員に送ったのですぐに「久保田メールLINE」に反応すんなとのおフレも出ていると思うのですがでも一緒に現場で戦ったことがあれば上から言われても返信の一つや二つ来ても良さそうなもんだ!と思いながら懲りずにネットの記事でこれは?と感じたものを同じ人たちに送り続けてます。見る人は必ずいると信じながら!
石楠花さま素敵なハンドルネームですね!
原田会長にしろ、谷川も秋谷も八尋もヒロシも、その他のザコ幹部達も生命が永遠なのも謗法をおかすことの恐ろしさも仏法の正しさや因果の法則も信じてないのでしょうから、石楠花さまのおっしゃる通り従属して行けば学会員さん達もバチを受けることになりますね!気が付かないのが不思議ですが・・・・😭
「栃木の久保田です!」よく覚えていますよ。学会精神ここにありの同志。
ある方から「もう公明党には投票しません。今度のことで目が覚めました」というメールをもらいました。あらゆるところに魔が付け入って,どこもかしこも悪鬼入其身。しかし小さいながらも光が見える時もあります。
今世で残っている寿命を広布のために使い,師弟の道を歩みたい!