【投書】本質を掴む努力!
投書者:カナリア
2024年10月18日東京・墨田区緊急支部長会が行われ、元副教学部長の須田晴夫氏が弾劾された。須田氏が「創価学会教学要綱の考察」という「諫言の書」を出版し、この事に関し「週刊文春」からのインタビューを受け、これが掲載されたことによるものだった。
参加者の中に、この模様を録音した方がおり、これがSNS上に公開されたのでお聴きになった人もいらっしゃるだろう。登壇者は一貫して、「何故に週刊文春か!?」「なぜこの衆院選支援の真っ最中にか!?」などと須田氏を責め、須田氏の主張・本の内容については一切触れない。
三代会長が護ってきた、日蓮仏法に於ける「三宝」の解釈。仏宝は日蓮、法宝は御本尊、僧法は日興聖人。現在45歳位以上で、教学の基本を学んできた会員であれば、常識となっているはずの根本教義である。この根本的な教義を原田学会執行部は姑息な形で変えてしまったのである。仏宝は釈迦(実質的には)、法宝を南無妙法蓮華経の題目に、僧宝を創価学会に。須田氏は、この執行部の重大な過ちを見過ごしに出来ず、破折・諫言のために自費出版されたのだと思う。
このことについて、「内容はともかく」などと、枝葉末節の事柄をもって須田氏を責め、追い込む。
実際は、内容・中身こそが大事であり、根本のはずである。
思い起こすに、2014年の教義変更の際にも、T副会長が「過去との整合性などどうでもいい」「内容は兎も角」などと発言していたと仄聞している。三代会長のご指南の内容を無視し、教学的整合性も問わないなどというのは「師敵対」以外の何物でもないと私は思う。
この様な在りざまを、「先生以外の人にはそれ程のキャパシティが無いのだからやむを得ない」とか、「原田さんをはじめ執行部は精一杯やっている」などと現状を認めるのは、間違っているのではなかろうか?そしてまた、世界広布を言い訳に、釈迦本仏論に変質していくのは創価学会の自殺行為なのではないか?
最近、学会の将来を憂うる複数の方と話をした。様々な形で現状打破しなければならないとの問題意識は共有できたと思うが、原田執行部に「悪鬼入其身」しているという認識までには至れない。これが多くの学会員さん達の限界だろうか?
一凶を見破れない、よって悪と戦えない、したがって発迹顕本出来ない。このままでは、学会も「フジテレビ状態」になるしか、転換は難しいのだろうか?
一方、1月度の自活座談会は、素晴らしく、大いに勇気をいただいた。立正安国論を現代に置き換え、データ(実証)をもっての研究発表。久々に見る本来の男子部、37歳の清々しい体験発表。胸に刺さる御書講義。ここに「希望の灯」はある。ここに池田門下生の同志がいると、心から感じられた。あらためて企画・運営の皆様に感謝申し上げます!
カナリアさま
素晴らしいご投稿ありがとうございます!
全く同感の内容で、胸のすく思いで読ませて頂きました。
私も対話に挑戦していますが、カナリアさんと同じく、話は聞いてくれるものの、「原田執行部に『悪鬼入其身』している」認識までなかなか至らない方、確信部分になるとどこか他人事になってしまう方など、歯痒い思いをすることがままあります。
ですが、私も先日の座談会とカナリアさんの投稿からまたたくさんの勇気を頂きましたので、引き続き頑張っていこうと思います!
ありがとうございます!
1979さま
コメントありがとうございます。御書の「異体同心事」に以下のようにあります。
「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ」。池田門下として、訴え続ける「道理」は、いつか必ず理解されると確信して、共々に頑張りましょう!