【投書】発展的解消(解党)のすすめ。
投書者:カナリア
落ち葉が舞い散る中、公明党石井前代表のポスター「希望の未来は実現できる」が、数日前まで、貼られたままになっていた。まるでブラックジョークのようだと思った。今日、同じ場所を通ったら、来年の参院選候補のポスターに変わっていた。来年の7月に向けて、早、選挙態勢だろうか?
月刊誌「選択」の12月号に、<消えゆく公明党の「存在意義」>と題して2ページにわたる文章が掲載されている。冒頭の小見出しに、<結党60年で全てが「老朽化」>とあり、以下のような書き出しとなっている。
「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代の事を考える」19世紀の米国の神学者ジェームズ・フリーマン・クラークの言葉だ。11月17日に結党60周年を迎えたものの、衆院選で惨敗した公明党にこの金言が突き刺さる。そして文末、以下のように締めくくっている。
『斎藤(新代表)も結党60周年に際し、池田が掲げた「大衆とともに」を強調し、結党60年に際し「人間でいうと還暦だ。還暦は新しく出発するという意味がある。党再生を全力でやっていきたい」と力を込めた。ただ信心する以外の多くの人を巻き込む政治の世界で、故人を拠り所にできるかどうかは未知数だ。「政治屋」から脱皮しない限り生まれ変わりは難しい』・・と。
公明支持者が最も嫌っていたのは「政治屋」だったはず。なのに、今では立派に?「政治屋」になっているとの厳しいご宣託。公明支持者はどう反論するのだろう?
至近な例を一つ申し上げたい。私の住む街では毎年、「子供夏祭り」が行われてきた。趣味・同好の仲間たちが、いろんな出店で盛り上げようとした。老人会やスポーツ愛好家に交じって、創価学会地区の有志も、焼きそばや味噌田楽などを作って、販売し、貢献しようとした。
当初は「枯れ木も森の賑わい」で歓迎されていたが、徐々に、「あれは宗教関係の人達の集まり・・」と、若干白い眼で見られるようになっていった。
ここから導き出される一つの結論は、ある一定の期間を経たら、信仰を同じうする人達だけで何かをするのではなく、趣味やスポーツ愛好家の集まりなどに、個々の学会メンバーが入って行った方が、自然に当初の目的を果たすことが出来る・・。
これを現代日本の政界に当てはめると、宗教政党である公明党は、発展的に解消すべきではないだろうかという事。結党から60年も経っているのに、党員の99,9%は創価学会員であるという現状は、異常とも思える。私は地元で20年以上前からこの事は指摘してきたが、一向に改善されなかった。この事実は、公明党も、創価学会もそれがいいと思っているということだ。以前にも述べたが、戸田先生の時代、初めて創価学会が政界へと人材輩出した際は、無所属または既存政党からの立候補もありという、実に自由な状況であった。
公明党はいよいよ、発展的に解消(解党)すべき段階に入ったのではないか。心ある議員諸氏は、無所属でも良し、自民党・立憲民主・れいわ、どこでも良い。自らの政治信条に近い政党から立候補し、国民の為に真剣に戦って欲しい。徐々に票を減らし「衰退極まれり」となってしまう前に、自らの選択でどう幕を閉じられるか?議員・支持者・創価学会員、それぞれが、今こそ熟考すべき時ではなかろうか?
まさしくその通りです。以前、創価学会は政党支持は学会員個人の自由でした。私が選挙権を得た青年部のころ、あくまでその上で公明党を支持していました。
だから政党支持は組織の意向ではなく、自分の意志です。
私は今でも変わらずそうですが、その間に周りの風景は様変わりしました。
いつの間にか学会活動の柱が「公明党支持運動」や「公明党支持競争」に代わってしまっているのです。いつの間にか、創価学会の目的が「公明党支持」に変わっていませんか?
「政治」と「宗教」の価値が万民の幸福へと一致している間は問題ありませんが、世間が固まってくると「政治」の妥協が顕在化するに比して、「宗教」はあくまで勝負の世界ですから、当然すれ違いが表面化します。
今がその時期でしょう。しかし、これを無視して打つ手もなく見過ごしていれば、「信じる」世界にいる学会員の会員の皆さんがあまりにかわいそうです。
本来「信じる」対象にしてはいけない、むしろ疑うべき「政党」を何があっても信じ続けているとしたら、これは直ちに是正が必要です。
信じているからこそ、集団的自衛権を認める法案の成立に手を貸すどころか「生みの親」にさえなってしまった拭えない過去を背負う責任を、創価学会と共に多くの学会員が共有してしまったのではないでしょうか。
「宗教」を実践している我々は、自らの意志決定や価値判断の為にこそ実践しているのであり。それが本来の教義とは別に「組織」や「システム」の都合でその意向に従順であるのなら、それは本末転倒でしかありませんし、その場合「宗教」は「奴隷」を養う媒体となり、個々人は「家畜」への道を自ら作りながら進むことになります。
学会員が正しい認識を共有するためには、ご呈示のとおり、組織としての「創価学会」が支持母体としての立ち位置で、公明党に対して、「解党勧告」をして欲しいですね。
「今」はその時期ですが、急だというなら来年の参議院選挙後にそうして欲しいものです。
ご同意、ありがとうございます。「政治と宗教」は永年にわたる大きな課題ですね。
残念ながら日本に於ける「壮大な実験」は、一旦、終わりにしたほうが良さそうです。
青年時代より、理想実現に奔走した私共にとって、本当に苦しい結論だと思います。
ご存じでしょうか? 私は「青年よ21世紀の広布の山を登れ」を池田先生が発表されたその現場にいた者です。その場で池田先生は「大分の地で発表したことを誇りに思ってください。」と付け加えられました。その「誇り」を忘れるとは「流される」ことなのでしょうか?
池田先生は、選挙で学会員を苦しめちゃいけないよ、とまで言われています。聞いた人は紹介すべきでしょう。
広宣流布とは、創価学会や公明党が支配することではありません。
人間社会のあらゆる分野、あらゆる場面を「仏法」の思想・哲学を基軸に変革してゆく必要を説いた概念であると、私は認識します。
それには政治の分野でも斬新な「政党」を作る必要がありました。
しかし、集団的自衛権ほどの大きな拭えない「失敗」をした以上、今後に向けて既にその使命は終わっているとみるべきでしょう。
今は「公明党」によって「創価学会」が評価されてしまうのです。
過去に公明党が「消費税は悪だ」、「消費税は廃止」とのポスターを作っていた、そのポスターをれいわ新選組の山本太郎が紹介してくれています。
学会員に情報と投票という権利を奪って無理強いすることなく、仏法の「目」に照らして、正視眼で判断するように開放すべきです。
その分別をさせず、既得権や自らの生活を優先することが、仏法の道理に照らしてどうなのか? 判断してほしいですね。