須田さんの見事な反論!
投稿者:自活運営事務局
須田晴夫さんが、男子部教学室論考に対する反駁文書を発表されました。是非お読みください。
https://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page9
「ファイル」をクリックすると全文が表示されます。
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須田晴夫さんが、男子部教学室論考に対する反駁文書を発表されました。是非お読みください。
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(須田晴夫・著 『「創価学会教学要綱」の考察: 仏教史の視点から』のカスタマーレビューへの投稿です)
著者・須田晴夫氏が週刊文春(本年 2024年10月)に登場したことについて、創価学会の組織の活動家には 組織を撹乱する行動だ と須田氏に敵意を抱く向きがあるようだ。
しかし、須田氏は創価学会自体を批判しているわけではない。
須田氏の批判が向けられているのは、何よりも、創価学会本部教学室アドバイザーだった宮田幸一氏(元・創価大学教授)の説に対してである。
宮田氏が、日興上人門流に受け継がれ 故・池田大作名誉会長などが発展させてきた日蓮本仏論、人法一箇論などの教学の根本を否定しようとしているからである。
だから須田氏は、既に8年前の2016年9月に 宮田氏への批判・『宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察』 を自身のウェブサイトで公開している。
更に、6年前の2018年に刊行された自著 『日興門流と創価学会』の中にも、同論文を加筆して収録している。
本年2024年8月に須田氏が自費出版によって『創価学会教学要綱』への批判を公(おおやけ)にしたのは、昨年・2023年暮れに発刊された『創価学会教学要綱』が、創価学会の教学アドバイザーである宮田氏の説の影響を受けてしまっているからである。
そして本年10月に 須田氏が敢えて週刊文春の取材に応じたのは、8年前から自身のウェブサイトや自著で宮田幸一氏の「邪義」に対して警告し続けてきたにもかかわらず、創価学会本部が全く聞く耳をもたないまま 本年11月の故・池田名誉会長の一周忌を迎えようとしていたからだろう。
故・池田大作名誉会長は、次のように発言している:
【引用】 大聖人は涅槃経を引かれ、その文の意味について、こう仰せである。
「仏の正法を弘めん者・経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をも・はばからず我もせめ国主にも申さん人は仏弟子にして真の僧なりと説かれて候」(*聖愚問答抄)
──仏の正法を弘めようとする者は、経典の教えの意義を誤って説く者(悪侶)を聞いたり見たりしたならば、みずからこれを責めなさい。 もし自身の力が足りなければ、国主に訴えてでも、対治しなさい。 そうしない人は仏法の中の敵である。 もし経文のとおりに、他人をも恐れず、みずからも(悪侶らを)責め、国主にも訴える人は、仏弟子であり、真の僧であると(涅槃経には)説かれているのです──。
悪侶に対しては、みずから責め、それでも足りなければ国主に訴えてでも責めよ、との厳然たる御命令である。
今、民主主義の社会にあっては、国主とは民衆であり、広く民衆に訴え、公の社会問題として糾弾しゆくことを指すともいえよう。
一人一人の鋭い破折と社会的な告発と、その「両面」から責めていくのが、経文に合致した戦い方と信ずる。
(第五回北海道総会 1992年8月29日 池田大作全集第81巻)
上の、聖愚問答抄の一節と、池田名誉会長の「一人一人の鋭い破折と 社会的な告発と その “両面” から責めていくのが 経文に合致した戦い方と信ずる」との発言に則って、須田氏は敢えて「社会的な告発」に踏み切り 週刊文春の取材に応じた ということだろう。 そうしなければ、警告の声を多くの創価学会員に届けられないからである。
創価学会員諸氏は 先ずは、牧口初代会長の「認識せずして評価するな」との戒めの通り、宮田幸一氏や『創価学会教学要綱』の説く所と、それに対して須田晴夫氏が説く所を、丁寧に読み込んで 正確に認識することが必要だろう。
教義の根本にかかわることだけに、「組織の幹部が ああ言っているから」ではなく、自分自身で双方の主張を十分に比較検討して、論議を尽くした上で、納得できる結論を得ていただきたいと願うものである。