座談会御書「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」2023年(令和5年)2月度
〈御 書〉
新版御書 2088㌻8行目~10行目
御書全集 1244㌻14行目~15行目
〈本 文〉
南妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこともっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。
〈通 解〉
南無妙法蓮華経と唱えて仏になることが最も大事です。信心の厚薄によります。仏法の根本は信じることが根本です。
〈講 義〉
伝統の2月である今月度の御書は「日女御前御返事」です。
別名を「御本尊相貌抄」と云います。
「南妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこともっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。」
御文は非常に簡単明瞭な一節です。
要は大聖人様の偉大な仏法を信じて南妙法蓮華経と唱え続けていけば、必ず幸せになり成仏出来るということです。
「信じなさい!」と仰ってます。
ですからこの御文通りに実践する決意と覚悟が出来れば今日の私の御書講義は終わりです。
しかし皆さま、人生と仏法はそれほど簡単ではありません。日女御前御返事は大きく第9章に分けられますが今回のこの御文は第8章の成仏の要諦の最重要の中の要の部分で実践が最も厳しく難しい究極のところなのです。
ではまず今回の御書の背景と大意について話して参ります。
日女御前御返事は建治3年(1277年)の8月23日、日蓮大聖人が56歳の時に身延の地で著され、女性門下の日女御前に送られたお手紙です。
日女御前についての詳細は不明です。しかし大聖人から頂いた御書の内容から、信心深く教養の高い聡明な女性であったと考えられます。
また、もう一つの「日女御前」宛ての御書には、「此れは女房も男も共に御信用あり」とあり、ご主人と共に信仰に励んでいたことが窺われます。
大聖人は、釈尊在世にも釈尊滅後の正法時代の竜樹や天親にも、像法時代の天台や妙楽でも顕さなかった御本尊を末法の時代に入り初めて万人成仏の為に「法華弘通の旗印」として顕されたことを示されます。
そして虚空会の儀式を用いて御本尊の相貌を詳しく述べられ、これは万人成仏を実現する「未曾有の大曼荼羅」であると仰せです。そしてその御本尊は、決してどこか別の場所にあるのでは無く妙法(御本尊)を受持して南妙法蓮華経と唱える衆生の生命の中に備わる事を明かされ、御本尊は「信心の二字」に納まっていると仰せです。
それでは本文に入って行きたいと思います。
「南妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり」
ここでこの「南妙法蓮華経とばかり」の「ばかり」が大切です。南妙法蓮華経に諸法すなわち諸々の法が含まれるが故に他は必要ない。だから南妙法蓮華経とばかりと云われております。
ではなぜ南妙法蓮華経にはそのような力が有るのか?
御書全集510㌻当体義抄の初めのところにはこのように書かれています。
「問う、妙法蓮華経とは其の体何物ぞや」
「答う、十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」また、
「問う、若爾らば我らが如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか」
「答う、勿論なり、所謂諸法・乃至・本末究竟等」云々と書かれています。
また、同じく当体義抄の513㌻4行目には
「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くるとき、因果倶時不思議の一法之有り之を名けて妙法蓮華と為す」続いて
「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し、これを修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり」
かいつまんで言えば妙法蓮華経とは十界の依正である。一切衆生は等しく平等に妙法の全体に含まれる。そして妙法蓮華経とは日蓮が勝手に作り出したものでも勝手に言っているのではなく、宇宙生命全体に連なる法則を衆生に弘く知らしめる為に最も適した名前を付けたのであり、この一法に十界三千の諸法が備わっていて足りないものはなく、この法を修行すれば仏になる原因をつみ、同時に仏になれる事を得るのです。
凄いですね!
しかし、これはどこまでも「理」上の話です。理論にすぎません。いくら一念三千の理屈を知ったところでいったい誰が成仏できるでしょうか。問題は、現実にこの一念三千を体現された生命が何であり、どこにあるかを知り、それを「境」としてその一念三千に冥合することです。その一念三千とは正に日蓮大聖人の一念三千であり、その当体である御本尊です。その実践法が、御本尊を信じ、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えることに他なりません。
「信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。」
どこまでも強い「信」が根本であり大切であると言われています。
さて、大聖人がこの「最も重要だ」とされる「信」を強めるための要諦はいったい何か。私なりに考えてみました。
一つは師弟不二だと考えます。人生は頭で思うほど簡単ではありません。日々常に迷い、悩み、弱気になる自分が付きまとっています。そんな私たちに、「確信」と「希望」と「勇気」を与えてくれる存在、それが師匠です。
根本の師である日蓮大聖人様の数々の御書はもとより、創価3代、就中(なかんずく)池田先生こそ、人生に起こる様々な出来事に、「信」を見失わない具体的なアドバイスを与えてくれる師匠であり、現代に生きる私たちにとって不可欠の道しるべであります。師匠と心を合わせることこそより強い「信」を育むための生活・行動の規範だと思います。
一方、表面上は同じ信仰をしながらも、恩を忘れ、人を裏切り、人を利用し、権力や欲望に支配される人がいます。やがて「信」を失い、ともすれば誤った「信」に命を奪われてしまう。これは師匠への真っ直ぐな心を忘れ、師匠を軽んじて、気づかぬ内に自分を基準とした慢心に侵されるからではないでしょうか。
言葉だけは「直弟子」を名乗りながら、民衆の味方でも無くなり、尊い多くの池田門下を切り捨て処分してきた創価学会の現執行部や、その執行部におもねって、平和な党でも無くなってしまいつつある公明党。これらはその典型であり、未来への大きな教訓だと思います。
ここで、私の体験を少し話させていただきます。
皆様もご存知の通り、池田先生の指揮の下、広布の戦いを続けてきた時代の創価学会には正しさ故の多くの敵がおりました。無知ゆえの悪口を言う人もいれば、一方的に学会を敵視し、嫌がらせや妨害を仕掛けてくる輩も、組織的に悪知識を刷り込まれて攻撃してきていた顕正会や大石寺の信徒達などから学会と会員さんを守る為創価班の広宣部として戦っていた時のことです。
会員さんに聞き込みをしながら敵を見つけ相手に接触し対論を仕込んで対決し、学会の正しさや池田先生の正義を証明し、敵の動きを潰して行くのですが、多勢に無勢で、いくらやってもモグラ叩き状態になるので、敵の多い地域から勉強会を開催し、対応出来る人を増やして行こうとしました。
ところが、それらを推めて行くと、行く先々で地元の学会幹部の縄張り意識に先ず邪魔されました。地元の幹部と話し合い、解決していきながら味方を増やして行こうとすると、今度は学会幹部や公明党議員の良からぬ話も耳に入ってくるようになりました。聞いてしまったからには無視することも出来ず、個人的に調べて裏付けを取り、事実確認をした上で池田先生にご報告のお手紙を書きました。
私の知る「創価学会の幹部としてやってはいけないこと」が、書ききれない程出て来ました。先生にご報告を続けて行くと県幹部から多く批判され、組織からは干され、協力者達も離れて行き、私の自宅でやっていた勉強会も私一人になってしまいました。尊敬していた先輩方からも叱られ、無視されたりし、自分を信じようと言い聞かせていましたが、四面楚歌状態が続き、「私がどこか間違っているのかも知れない」「自分はこだわりすぎなのか?」と頭をよぎる時もあり悩んでいました。まさに「信」がぐらつき始めたのです。そんな時です、池田先生が新・人間革命の中に次のように書いてくださったのは、「公明党の議員の多くは真面目に仕事をしているが、中には公明議員らしからぬ行動をする者も出始めているようだ!~中略~それらの事をそっと私の所に知らせてくれる人がいる。その人は誰よりも公明党のこと、公明党の未来を心配してくれている人だ!」と。
私は涙が止まらず、「これからは何があっても先生と共に信念の道を生きて行く!」と誓いました。
私たちの「信」は、御本尊への「信」を根本として、同時に、それを維持するために師匠への「信」を失ってはいけなのです。更に言えば、自分自身が大聖人様や3代の会長に連なる分身の一人として人生や社会を生き抜き、一人の人に、そして世界中に影響を与えて行く自分なんだと信じること、師匠と同様の力が出せる自分なんだ!!と信じて唱える題目でなければならない。そんな風に今回の御書は訴えているように私には思えました。
最後になりますが、このような尊いおひとりおひとりを、時の権力に取り入る為に邪魔者の扱いし、切り捨て、処分してきた現学会の執行部の輩を攻めずして成仏はあり得ないと断言し、私の御書講義を終わります。
以上です。ありがとうございました。
御書講義 動画サイト
2月度座談会御書履歴
座談会御書 「崇峻天皇御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「立正安国論」2001年(平成13年)
座談会御書 「開目抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2003年(平成15年)
座談会御書 「聖人御難事」2004年(平成16年)
座談会御書 「兄弟抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「開目抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「佐渡御書」2007年(平成19年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2008年(平成20年)
座談会御書 「大悪大善御書」2009年(平成21年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「佐渡御書」2011年(平成23年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2012年(平成24年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2013年(平成25年)
座談会御書 「上野殿御返事(刀杖難事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2015年(平成27年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2016年(平成28年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2017年(平成29年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2018年(平成30年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2019年(平成31年)
座談会御書 「諸法実相抄」2020年(令和02年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2021年(令和03年)
座談会御書 「一生成仏抄」2022年(令和04年)
2月の広布史
第二代会長戸田先生 誕生日
1900年(明治33年)2月11日
小説・人間革命
・生い立ち 第2巻 幾山河・涼風
・牧口初代会長との出会い 第1巻 再建
・入獄 第1巻 黎明
・出獄 第1巻 黎明
・第二代会長就任 第5巻 烈日
・広宣流布の模擬試験 第12巻 後継
池田大作全集
・『池田大作全集』第22巻 随筆人間革命 序に変えて・寒椿・他多数
・『池田大作全集』第22巻 私の履歴書 序文・森ケ崎海岸
・『池田大作全集』第22巻 つれづれ随想 雪山の寒苦鳥・師曠の耳
■石狩市ホームページに厚田ゆかりの著名人(旧厚田村栄誉村民)として紹介。
二月闘争
1952年(昭和27年2月)
■小説 新・人間革命
・第5巻 驀進
■小説 新・人間革命
・第27巻 奮迅
■輝きの明日へ NO.68
・東京・大田最高協議会
2000年9月25日
東京・信濃文化センター
■輝きの明日へ NO.76
・東京総区長会
2001年1月30日
創価文化会館
■輝きの明日へ NO.77
・東京女子部部長会
2001年2月9日
東京戸田記念講堂