開目抄について

2022(令和4年)8月度オンラインスタディで講義して頂いた内容を、ご本人の了承のもと掲載させて頂きます。


グリグリ著

今までいろんな教学の参考書を用いて勉強をしてきましたが、その中でも、特に心に残った文献や解説等を、私はノートに書きとどめてきました。所謂それを「覚書ノート」というのですが、それをさらに整理して小冊子を作成し、毎月の勉強会でその小冊子を中心にして学習会を開催しています。

今日は、その小冊子の中から一部抜粋して「教の重」と言われている開目抄の「内外相対」について学んでいきたいと思います。ちょっとその前に、

私たちが信仰をする上で、もっとも大事なことは三つあります。それは「教・行・証」と言われているものです。

この「教・行・証」の三つは、仏道修行の根幹となる重要な問題が含まれているのですが、

その問題とは何かというと、

「教」―いかなる教法を受持するのか
「行」―教法によって立てられた修行
「証」―教法の修行によって得られる証果

①まず「教」とは仏が説く教法で、いかなる教法を受持すれば良いのかということ。
②また、「行」とはその教法によって立てられた修行のことで、いかなる修行に励めば良いのかという問題になります。
③そして最後の「証」とはその教法の修行によっていかなる証果(仏果)、悟りが得られるかという問題です。

私たちで言えば、何を信じて学び、どう修行すれば、仏法の法理に適った証果を得ることができるのかということです。因果の関係で言えば、信行学という「因」が有っての証、つまり「果」ということになります。

日蓮大聖人はこの「教・行・証」の問題について様々な角度から「人」に応じ、「所」と「時」に応じて縦横無尽に説き明かしています。現在残っている大聖人の御書は膨大な数になりますが、この「教・行・証」の骨格について、何も知らずに御書を拝読することは、地図やコンパスを持たずに、密林に入るに等しいかも知れません。

では「教・行・証」の各論ついて、詳細に論じられた御書はどれかと言うと、日寛上人は次のように述べています。
「相伝(そうでん)に曰(いわ)く、開目抄と観心本尊抄と当抄(当体義抄)とを次の如く教・行・証に配するなり」(文段)と。

日寛上人いわく
「相伝に曰く、開目抄と観心本尊抄と当抄(当体義抄)とを次の如く教・行・証に配するなり」(文段)
【まとめ】
教の重 ― 開目抄
行の重 ― 観心本尊抄
証の重 ― 当体義抄

要するに、開目抄が「教の重」、観心本尊抄が「行の重」、当体義抄が「証の重」となります。今日はこの三つ(教・行・証)の中でも特に宗教の基盤となる「教の重・開目抄について」論じていきたいと思います。

1 教の重・開目抄 (五重の相対)
 日蓮大聖人御在世当時、いわゆる南都六宗と天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗の十宗が並び、各宗ともに仏教を名乗っていました。
仏教といえば、その淵源(えんげん)は釈尊に始まりますが、そもそも釈尊の真意は一体どこにあるのか――

十宗に分派するほどそんなにたくさん「真意」があっていいものなのか――そんな疑問を持たれた大聖人は、一切経を閲覧(えつらん)され、一切経を注釈した書物や、一切経の中身は何であるかを論じた文献を学びながら、仏教の「元意」というべきものを把握(はあく)されました。
そして大聖人は晩年に「大正法(しょうほう)」、いわゆる三大秘法を打ち立てたのですが、佐渡流罪期に著された「開目抄」こそ、釈尊一代の教法を体系的に相対して勝劣を判断し、それをもって末法に流布する「下種仏法」を明かしたのが、この「開目抄」です。
大聖人は開目抄で「五段の教相」を示し、一代聖教の内容を浅きより深きに相対して釈尊の真意を掴(つか)み、末法に流布すべき「正法」を鮮明に浮かび上がらせました。
この教判(きょうはん)を「五重の相対」と言います。また「教法」といえば「教主」と密接不可分な関係にあり、開目抄は末法の教主・人本尊が大聖人自身であることを開顕(かいけん)したものであることから、開目抄を「人本尊開顕の書」とも称されます。

大聖人は開目抄の冒頭、

「開目抄」
夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり。(新版50㌻)
― 大聖人の真意 ―
主師親を兼ね備えた人といっても、どのような法をもって、
①衆生を守り
②衆生を教え
③衆生を救済
する「主師親・具備の人」なのかによって、

夫(そ)れ、一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒(じゅ)・外(げ)・内(ない)これなり」(新版五十頁)と述べられました。

この冒頭で、一切の人々が尊敬すべき者は「主師親(三徳)」を兼ね備えた人であると掲(かか)げていますが、大聖人の「真意」は、主師親を具備(ぐび)した人と言っても、いかなる法をもって衆生を「守り・教え・救済」する主師親の人なのかによって、人にも浅(せん)深(じん)の勝劣(しょうれつ)があるというのがその骨子(こっし)です。

だから「また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり」と、三つの法(儒教・外道・内道)に大きく分けて示し、それを習学すべきであると教えられたのです。この一節に、すでに「法と人」は元来「一体不二」なることを暗示していたと見るべきでしょう。

習学すべき三学とは?
①儒教 ― 中国思想(孔子・孟子・老子・荘子)
②外道 ― 古代バラモン・六師外道
③内道 ― 仏教

ここで挙げられた「儒教」とは、単に孔子(こうし)・孟子(もうし)の儒教だけでなく、老子(ろうし)・荘子(そうし)等も含めた、いわゆる「中国思想」全体のことです。「外道」とは、古代インドのバラモン教から派生した「六師外道」を指しています。「内道」は言うまでもなく仏教のことです。

鎌倉時代の日本で一般に知られていた「宗教・思想・哲学」はすべてこれに収まるので、大聖人は「儒・外・内」と示したのではないかと考えられます。

一方、現時点から見れば「儒教」「外道」といっても、キリスト教・イスラム教などの宗教や、近代の高度な学問もあり、これらは「儒教・外道」の外にあるではないか――という考え方もあります。

確かに鎌倉時代に生きた大聖人からすれば、そうした西洋世界の宗教については名前すら聞いたことがないと思いますし、その後に生まれた多くの学問も知らなかったでしょう。もちろん、それらの内容についてふれられた御書は一つもありません。

しかし、そうした宗教や学問も、その根本的な発想と、そのもたらす人間自身への効用においては、大聖人が挙げられた「儒・外・内」に包含(ほうがん)されていると考えることもできます。

このように言えば、強引に聞こえるかも知れませんが、そもそも宗教的発想も、学問的原理も、その基盤部分は西洋世界での発展よりずっと早く、メソポタミアやエジプト、インド、そして中国といったいわゆる古代文明によって生み出されていたことは、歴史学によってほぼ確定しています。

メソポタミア文明やエジプト文明はインドに影響を及ぼしていたし、インド文明が中国に巨大な影響を与えたことは、今さら言うまでもありません。またインドの数字が西洋世界に伝わり、現在、アラビア数字と呼ばれる世界共通の数字が、実はインド起源であることはすでに確認されています。

ポイント!
中国思想
社会の基本となる「人間と人間」の関係性について理路整然たる法則を打ち立てる。
― 人間と人間との理想的な関係を実現することに人生の目標があると考えたのではないか ―
インド思想
「人間と自然」「人間と宇宙万物」の関係性について
― 万物を貫く永遠なる「法と人間」との関係に深い思索をめぐらせているのではないか ―

中国思想は社会の基本となる「人間と人間」の関係について、理路整然たる法則を打ち立ててきたことが一つの特徴となっていて、人間と人間との理想的な関係を実現することに人生の目標があると考えていたのではないかと思います。
 それに対して、インド思想は「人間と自然」「人間と宇宙万物」、そしてその万物を貫く永遠なる「法と人間」との関係に深い思索をめぐらせています。個の我としてのアートマンと宇宙本源のブラフマンとの合一(ごういつ)(不二)を説いたウパニシャッド哲学(バラモン)は、そうしたインド的思考の特色を典型的に表しています。インドの数字や高度な発達を遂げていたと推測される天文学等の学問、また生命の輪廻(りんね)観(かん)やヨガ哲学などはウパニシャッド哲学の分枝(ぶんし)と言えます。

このように見ていくと、中国思想には人間関係に思考と実践に重点を置いた「社会科学的」なものの源流があり、インド思想には人間と自然の関係に思索の重心を置いた「自然科学的」なものの淵源があると言えます。もちろんそれらは遠い昔の源(みなもと)であって、現代世界の発展とは比較にならないのは当然です。

但し、それが人間自身の根本的な「幸・不幸」、また「生き方」や「人間性の確立」に対して持っている「意義」という視点からとらえるならば、昔も現代も実質はさほど変わらないと思います。ずいぶんと長くなりましたが、そのような理由から大聖人の挙げた「儒・外・内」に包含されるのではないかと言ったのです。

さて、鎌倉時代に生きた大聖人御在世当時の日本人は、インド・中国・日本が全世界であるという世界観を持っていました。

大聖人が、いくら「俺は永遠不変の真理を体得したぞ」と主張したところで、その真理を当時の人々に伝え、理解させるためには、どうしても当時の人々によく知られた思想や宗教を用い、それらを踏まえて展開しなければならないという時代の制約があったのです。

逆に言えば、当時の人々によく知られた思想・宗教を無視して「永遠不変の真理」を説いても、まったく人々と隔絶(かくぜつ)したものとなってしまい、それでは真理自体が何の価値も生まないことになってしまいます。

むしろ「永遠不変の真理」であるからこそ、その時代にもっとも浸透(しんとう)した思想・宗教に即して、自らの持ち得た「真理」を顕現(けんげん)しなければならないのです。

二十世紀に活躍したフランスの哲学者ベルグソンは著書の中で次のように述べています。

「……新しいものを他人に理解させるにも、その表現は古いものを通して行うほかはないのです。すでに出された問題、前に与えられた解答、彼が生きた時代の哲学と科学、これらはどんな大思想家にとっても、自分の思想を具体化するためにどうしても利用せねばならぬ材料だったのです。

……同様に世界に何か新しいものをもたらす思想も、手近(てぢか)にある既存(きぞん)の思想を通してしか目にふれられず、これらの思想を自分の運動にひきずってゆかねばなりません。このために新しい思想も、その哲学者が生きた時代に依存するように見えるのです。しかし、これは見かけにすぎません。

その哲学者が数世紀早く生まれたとします。彼は他の哲学、他の科学にたずさわりましょう。彼が立てる問題も別の問題になりましょうし、別の形で自分を表現したことでしょう。……しかし、それにもかかわらず、彼はやはり同じことを言ったはずです」(哲学的直観)と。

ベルグソンはあくまでも西洋哲学の土壌の上で語っていますが、なぜ大聖人が中国の儒教・インドの哲学を「外道」として包含し、仏教と相対して展開されたのかを理解する上で、ベルグソンの言葉はその一助になると思います。

(1)内外相対の基準

開目抄で、仏教以外の宗教・思想・学問を大きく分けて「儒教・外道」に包含した大聖人は、それらが古い歴史を持ち、多くの人に尊敬されてはいるものの、本質的にはまだ一切衆生を根本的に救済できる教えではないと指摘しました。

儒教の場合
ただ現在ばかりしれるににたり。現在において仁・義を制して、身をまほり、国を安んず。これに相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等(新版51㌻)
大聖人の儒教の破折
かくのごとく功に立つといえども・いまだ過去未来を一分もしらず(同㌻)

儒教の場合は「但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず、此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等」(新版五十一頁・旧一八六頁)という教えであり、儒教の四聖(孔子(こうし)・孟子(もうし)・老子(ろうし)・荘子(そうし))の教えは「有(う)の玄(げん)」「無の玄」「亦(やく)有(う)亦(やく)無(む)の玄」の三玄にまとめられています。

「玄」とは、黒や赤黒い色のことで、中国では「根本の実体」を意味します。

この四聖たちは、根本の実体(玄)を「有り」とする人、「無い」とする人、「有も亦(また)玄であり無も亦(また)玄である」とする人と三つに立て分けて説いています。

これに対して、大聖人は「かくのごとく功に立つといえども・いまだ過去未来を一分もしらず」(同頁)と破折されています。要するに、中国思想は現在の人生において「人間の生き方」を探求したものであり、三世を貫く因果を知らない――よって「法(儒教)」自体には限界があるということです。

しかも大聖人が儒教で取り上げた最大の欠点は「永遠性」の欠如です。四聖たちは現在だけにとらわれて三世を貫く永遠の法を「かすかで、はっきりしないもの」としか、とらえていないと破折されたのです。これに対して、

外道の場合
その見の深きこと、巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。あるいは過去二生・三生・乃至七生、八万劫を照見し、また兼て未来八万劫をしる」(新版52㌻)
「その説くところの法門の極理は、あるいは因の中に果有り、あるいは因の中に果無し、あるいは因の中に、また果有りまた果無し等云云(同㌻)
大聖人の外道の破折
因果関係のとらえ方が曖昧である。だから未来の善き「果」を生むための現在の実践(因)もいい加減にならざるを得ない。さまざまな修行法は教えているけれども、生死の「苦」を解決することはできず、かえって悪道に堕ちてしまう

インドの外道の場合は「其(そ)の見(けん)の深きこと巧みなるさま儒家にはにるべくもなし、或(あるい)は過去二生・三生・乃至(ないし)七生・八万劫(こう)を照(しょう)見(けん)し又兼(かね)て未来八万劫をしる(新版五十二頁・旧一八七頁)という深みがあります。

 しかし大聖人は「その説くところの法門の極理は、あるいは「因の中に果有り」、あるいは「因の中に果無し」、あるいは「因の中に、また果有りまた果無し」等云云」(同頁)とも述べています。要するに、外道は儒教よりも過去・未来への視野は広く「永遠性」の追究はあるが、因果関係のとらえ方が曖昧である。だから未来の善き「果」を生むための現在の実践(因)もいい加減にならざるを得ない。さまざまな修行法は教えているけれども、生死の「苦」を解決することはできず、かえって悪道に堕ちてしまうと破折しました。

ただし、大聖人は「儒教・外道」も仏法に入るための初門に成り得ることを指摘されています。なぜかと言えば、儒教や外道の教えを極め尽くした人は、仏法の必要性を悟っていましたし、仏教の側でもこれらの教えは、仏教に入るための「方便」であると位置付けているからです。つまり、仏教と仏教以外(宗教・思想・学問)を比較した相対論では、浅く、劣るものであると打ち破りながらも、それなりの存在意義は認める立場をとっているのです。

ここに仏教の卓越性があり、仏教が決して独善的な教えではないことを物語っています。

別の言い方をすれば、仏教をすでに信仰している人にとっても、これらの思想や学問が無意味なものでないことはすでに証明されています。仏教の信仰を根本としたうえで、社会の中で人々と関わり合おうとすれば「儒教」の教えが役に立つし、自然の中で万物と関わり合う上では「バラモン哲学」の教えが生かされます。事実、人類はそのような歴史を歩んでいます。

内外相対のポイント!
何を基準にして相対しているのか―
①永遠性
②因果関係

例えば、人間社会の調和を目指して社会の仕組みを形成し、あるいは自然災害との応戦を通して災害から人を守る道具を発明して、人類社会に多彩な貢献をしています。しかし、人生に襲い掛かる生命究極の「苦悩の解決」については内道である仏法以外には無い――というのが内外相対の視点であり、その要(かなめ)となる議論の軸はこの「永遠性」と「因果関係」であると言えます。

外典・外道の四聖・三仙、その名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、その名は賢なりといえども実に因果を弁ざること嬰児のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こえがたし。我が大師(釈尊)は、変易すらなおわたり給へり、いわんや分段の生死をや。元品の無明の根本なおかたぶけ給へり、いわんや見思枝葉の麤惑をや(新版53㌻)

大聖人は「外典・外道の四聖・三仙(せん)其の名は聖なりといえども実には三惑(なく)未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁(わきまえ)ざる事嬰児(えいじ)のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや、彼を橋として六道の巷(ちまた)こゑ(え)がたし。我が大師(釈尊)は変易(へんにゃく)・猶(な)をわたり給へり、況(いわん)や分段の生死をや。元品の無明の根本猶(な)をかたぶけ給へり、況や見思(けんじ)枝葉(しよう)の麤惑(そわく)をや」(新版五十三頁、旧一八八頁)と厳しく破折を加えています。

 この御文は外典の儒教、外道のバラモンを打ち破って、内道たる仏教を端的に宣揚(せんよう)された言葉ですが、儒教の師である四人の聖人や、外道の三仙(せん)(人)は、その名は聖人であるとはいえ「三惑(わく)未断の凡夫」であると仰せです。

「三惑(わく)未断の凡夫」とは自身の惑(まど)いを脱していない人であり、自己の生命を変革していない人です。またその名は賢人であるとは言え「因果を弁ざる事嬰児(えいじ)のごとし」と批判し、智慧の劣った赤子のようなものだと述べています。

この外道・破折の論点は、

外道破折の論点・ポイント!
①自己自身の生命の変革が成されないこと
②因果の法を弁える智慧がないこと

儒教と外道の共通点
①三世を貫く永遠の因果に暗い
②理論的な欠如
③因(修行論)と果(生死の解脱)の曖昧さ
結論
人々を根底から救いきることができない。

①自己自身の生命の変革が成されないこと。
②因果の法を弁える智慧がないこと。
の二点です。

 中国思想である儒教や、インド思想の外道に共通していることは、三世を貫く「永遠の因果」に暗く、その理論的な欠如が、実践的な意味における「因(修行論)」と「果(生死の解脱)」を曖昧(あいまい)にし、結局、人々を根底から救いきることができないということなのです。

例えば、人間生命の外に絶対的な「神や法」を立て、それらによって人間の幸不幸が支配されているとするのが「外道」の思考的発想であり特徴です。ここには人間の幸不幸という「果」が、神や法の「因」によって決まるとする因果関係は一応成り立ちますが、同じ人間の生命内在での因果の一貫性がありません。その結果、あらわれてくるものは、自己の無責任性であり、未来に臨んでは主体性の欠如です。

また遺伝現象を中心に立てられた現代科学の因果論は、親の遺伝子を「因」として、子の特色を「果」とする考え方です。これも外道と同じ軌道上にあります。こうした因果論は、同じ親から生まれた兄弟姉妹が、容姿(ようし)も性格も、歩む人生も、すべて異なっている事実によって無意味化します。

なぜかと言えば、同一の「因」は同一の「果」を生ずるという対応関係があってこそ、因果律を立てる意味があるからです。

大聖人は、このような聖人や賢人を「主師親を兼ね備えた師である」と仰いでも、彼らの教えでは生死の苦しみから脱することはできないし、六道輪廻(りんね)の迷いから抜け出すことはできないと断言しました。

逆に言えば、自己の生命の変革がなければ、生死の苦しみを解決し、悟りを得ることはできないし、因果の法を弁えた智慧がなければ、煩悩に覆われた現実の人生を賢明に生きることはできないと教えられているのです。それに対して、

大聖人は「内道(仏教)の主師親(釈尊)は歴劫修業の菩薩行をすでに終了して自己の生命を変革された方であり、元品の無明の根本さえ断ち切られた方である。ましてや六道の凡夫の生死に迷っているはずがなく、三惑(一切の迷いや煩悩)を断たれたことはいうまでもない」と内道(仏教)を宣揚(せんよう)しています。

ここで言う「因果の法」とは、物理的世界における自然科学の「因果律」ではなく、生命自体を貫いている因果の法です。この生命内在の因果の一貫性を明らかにしたところに内道(仏教)が勝れ、外典・外道が劣る理由があるのです。これが「内外相対」の重要な基準です。

以上、五重の相対の一つである「内外相対」を学んできましたが、この学習会を機縁として、もう一度、各自それぞれが人本尊開顕の書である「開目抄」を学んでいかれることを希望して、講義を終わりたいと思います。ありがとうございました。