極大重病の日本国
相次ぐ天変地異と戦乱。
『誰が善い悪いよりも、起きたから起きた、なったからなった』ではなく、その背景に人間の営み・精神作用ありと、仏教的知見から喝破したのが日蓮大聖人です。
「この病(大謗法の重病)のこうずるゆへに四海のつわもの(兵)ただいま来りなば王臣万民みな(皆)しづ(沈)みなん」(妙心尼御前御返事)と蒙古襲来の背景には、法の邪正に迷う大謗法の重病があると指摘するのです。
妙心尼御前御返事 建治元年[1275]8月16日
又人の死ぬる事はやまひにはよらず・当時のゆきつしま(壱岐対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にう(打)ちころ(殺)されぬ・病あれば死ぬべしといふ事不定なり、又このやまひ(病)は仏の御はからひか、そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ、今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病なり・今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり、これらはあまりに病おもきゆへに我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり、この病のこうずるゆへに四海のつわもの(兵)ただいま来りなば王臣万民みな(皆)しづ(沈)みなん、これをい(生)きてみ(見)候はんまなこ(眼)こそあたあたしく候へ。
意訳
また、人が死ぬのは必ずしも病だけではありません。当時の壱岐・対馬の人達は皆、病気はなくとも、蒙古軍に一時にして打ち殺されてしまいました。病になったから死ぬと、決まってはいません。
また、この(妙心尼の夫・入道の)病は仏の御はからいでしょうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には、病がある人は仏になると説かれています。病によって仏道を求める心は起こるものです。
また、一切の病のなかでは、五逆罪と一闡提と謗法こそが重い病であると、仏は心を痛めています。今の日本国の人は、一人も残らず極大重病の人です。いわゆる大謗法の重病です。現在の禅宗、念仏宗、律宗、真言師です。これらの人はあまりに病が重いので、当人自身も他の人も知らない病なのです。この病があまりにこうじたので四海の兵士が攻め寄せて、王臣万民が皆、沈んでしまうことでしょう。これを生きて目のあたりにすることこそ、実に痛ましいことです。
「蒙古が文永の役、弘安の役と二度にわたって攻めてきた、多くの人が殺され亡くなった」という歴史的大事件を表面的に捉えれば、当時の世界情勢、国情、国と国との関係に尽きてくることでしょう。
では、なぜ、その様な方向に歴史が向かい進んで、誰人も止められず、防ぐことができず、結果として日本国始まって以来の深刻な侵略が行われてしまったのか?という底流にあるもの。そこに「国土の盛衰」に直接的に作用する、「法の邪正」「邪法による大謗法の重病」というものがあると、日蓮大聖人は指摘します。
大謗法の重病・・・
日蓮大聖人の解釈としては、大謗法の重病は「あまりに病おもきゆへに我が身にもおぼへず人もしらぬ病」、自覚なき病です。しかし、「国土の善神」は去ってしまい、即ち確実に「国土の生命力」を蝕み「国土の福」を失うわけですから、やがては「この病のこうずるゆへに四海のつわもの(兵)ただいま来り」と他国による侵略を招くことになり亡国へ至るというのです。
大聖人はかねてから「その病の帰結するところ」を知り、病を治さんとしたにも関わらず、患者達=国土の民には病の自覚すらなかった。やはり、他国侵逼難というのは大聖人の眼から見れば、「起こるべくして起きて」しまった、「大謗法の重病の最悪の帰結であった」といえるかと思います。
以上は極大重病の謗法についてですが、文中に出てくる「一闡提」については、言わずもがな、断善根・信不具足であり、その人の人間存在の元の部分から、仏教を信ずることができずに成仏の素質を欠き、心に仏種すら植えられないことです。
そして「五逆罪」。
殺母、殺父、殺阿羅漢(僧)、出仏身血、破和合僧のことですが、殺母や殺父、殺阿羅漢、出仏身血等、両親を殺し、求道の人々・菩薩を殺し、仏を傷つける重罪、それは誰の目にも明らかなところでしょう。
ところが、破和合僧になると「見抜く力」が要求されてきます。「その渦中」にある時というのは、容易には分からないことだと思います。
では、何をどうすればその「破和合僧」を見抜けるのでしょうか?
多くの答え、考えがあると思いますが、一つには『師匠のことばをもとにする』ということがいえるのではないでしょうか。
『それは師の教え・言葉とは違うではないか』と声を上げることです。
『御書に「仏説に証拠分明に道理・現前ならんを用ゆべし」(破良観等御書)とあるが、あなたのやっていることのどこに、師匠の言葉、思いがあるのか。破和合僧ではないか』と指摘するのです。
ことが起きた時は「師弟の心」こそが大切と思います。
故に師の存命中にどれだけ「師の内面に迫っていく」のか。
現在の私達が真剣に取り組むべきことだと強く思うのです。
ということは『師匠の言葉を正確に後世に伝えていく』ということが、「師匠なき日」を思えば、もっとも大切なことではないでしょうか。
日蓮大聖人は
法華経は即ち釈迦牟尼仏なり、法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり
守護国家論
と経典世界に師の存在を見たわけですが、その経典が後代の人物によって削られ、書き換えられ、改竄されていたのでは前提が崩壊してしまいます。師匠の人物像も変わってくるでしょう。
手を加えられ、一部人物の都合のよいように創作された師匠の言葉というのは、『我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ。人師の言語は無用なり』(教行証御書)との用いてはいけない人師の言語です。さらに厳しく言えば、師匠の言葉に手を加えて有ったことを無かったことにし、言わなかったことを言ったことにし、その逆も行うならば、それは師匠の存在を己に都合よきように利用するものであり、まさに『仏の遺言に云く、我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり』(行敏訴状御会通)との天魔の働きであると思います。
『師がそのようなことを言われたのか、ならば証拠を示せ。御書に「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや。かかる僻事をのみ構え申す間邪教とは申すなり」(祈祷抄)とあるように、あなたが言うことを大聖人は邪教と破折されているのです。破和合僧はあなたではないか』と。