【投書】摩訶・私感「戸田先生の会長論」

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投書者:鬼滅の言

2021年5月3日 戸田先生・会長就任・70年の佳節を迎えます。

その意義を踏まえ、戸田先生の会長論ともいうべきご指導を拝したいと思います。

死の問題は二十何年間かかりました。子どもを亡くして泣きすごすと、妻の死も自分自身の死もこわかった。これがようやく解決できたればこそ、戸田は創価学会の会長になったのであります。

法華経の智慧

「私は、なぜ会長になったのか。それは、私は妻も亡くしました。愛する娘も亡くしました。そして、人生の苦労を、とことん、なめつくしました。だから会長になったのです」と。苦労をしぬいたからこそ、会長の資格がある。これが戸田先生の哲学であった。

池田大作全集 第86巻

なぜ、こんなに、私は会長たることをいやがったのであろうか。(中略)創価学会の使命は、じつに重大であって、創価学会の誕生には深い深い意義があったのである。ゆえに、絶対の確信ある者でなければ、その位置にはつけないので、私にその確信なく、なんとなく、おそれをいだいたものにちがいない。

創価学会の歴史と確信

名誉ある法難にあい、御仏のおめがねにかないながら、名誉ある位置を自覚しない者どもは退転したのである。

創価学会の歴史と確信

(1)生死の問題、特に死の問題に対し、解決できた人

(2)苦労をしぬいた人

(3)絶対の確信のある人

(4)どのような弾圧・迫害さらには拷問にも退転しない人

以上4点・戸田先生がご指導された会長の要件であると思います。

戸田先生は「会長たることをいやがった」と述べられています。

池田先生も会長就任の要請に「きっぱりとお断りした」「固辞した」(随筆・新人間革命 第三代会長 決定の前夜)と記されています。それが会長職であると思います。

会長職を望む人。会長になりたい人。そのような人が現れた時。創価学会も終わりであると、私は思っています。

いまの私は不肖にして、いまだ絶対の確信はなしといえども、大聖人がご出現のおすがたをつくづく拝したてまつり、一大信心に立って、この愚鈍の身をただ御本尊にささげたてまつるという一法のみによって、会長の位置につかんと決意したのである。

創価学会の歴史と確信

私の友人であり「産湯相承物語」を投稿したSさん。男子部の時代。1995年頃でしょうか。
次のように話してくれました。

戸田先生は「大聖人がご出現のおすがたをつくづく拝したてまつり」そして「会長の位置につかんと決意したのである」と言われています。「大聖人がご出現のおすがたをつくづく拝したてまつり」これは池田先生を指しているのではないでしょうか?

私は鋭い指摘であると思いました。その後、何年間か、この指摘が頭の中をグルグルと回っていました。詳しい解説はSさんにお願いする次第です。