安房国清澄寺に関する一考 17

【 神国王御書と善無畏三蔵抄 】

「神国王御書」と「善無畏三蔵抄」も少年日蓮の修学環境を探るのに、参考になる書だといえるでしょう。

神国王御書

幼少の比(ころ)より随分に顕密二道並びに諸宗の一切の経を、或は人にならい、或は我と開き見し、勘(かんが)へ見て候へば、故の候けるぞ。我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ことは仏鏡にはすぐべからず。

日蓮大聖人は回想の中で、顕教・密教、諸宗の一切経を人に習い自ら学んだのは少年時代からであると記述しています。

善無畏三蔵抄

日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給ひて、我等易易(やすやす)と生死を離るべき教に入らんと思ひ候て、真言の秘教をあらあら習ひ、此事を尋ね勘るに、一人として答をする人なし。此人(善無畏三蔵)悪道を免れずば、当世の一切の真言並びに一印一真言の道俗、三悪道の罪を免るべきや。

顕教・密教の中でより勝れ、生死を離れるべき教えに入ることを願い、真言の秘教を粗々習ったが、特に善無畏三蔵の頓死について真言師から明答を得られなかった。善無畏が悪道に堕ちたのであれば、現在の真言諸師と信奉者が三悪道の罪をどうして免れることができようか、としています。

このような少年・青年期の修学を回想した記述により、日蓮大聖人は若き日に東密僧と接していたことが読み取れ、「幼少の比より随分に顕密二道」「真言の秘教をあらあら習ひ」ということであれば、それは少年日蓮の清澄寺修学時代を含むものであり、そこには少年日蓮に教示する東密僧の存在が考えられるのではないでしょうか。

東密の祖・空海が修した虚空蔵菩薩求聞持法を行う山林修行の霊場として喧伝されていた清澄寺であれば、記憶力増進を願い東密の修学・修行者が集うのも、また「慈覚開山之勝地」と天台・台密系の聖らによって再興されたと推される清澄寺であれば、そこに天台・台密の法脈が伝わるのも、即ち台東両系の修学・修行者達が居住したことも考えられるところです。

清澄寺には台東両系の共通の帰命対象・本尊として虚空蔵菩薩があり、宗派という枠にとらわれない虚空蔵信仰・求聞持法の霊場としての清澄寺だったと位置付けられるのではないでしょうか。