産湯相承物語(16)

16 用語の意義Ⅱ(展開)


・苦我啼く


 日蓮大聖人が出生時の産声として「苦我啼(=泣)」いたということについては、御実名縁起に見られないだけでなく、夢物語としてのストーリーからも独立して記述されていることから、夢物語の成立後に附加された可能性が高いことが考えられる。


 また、日蓮大聖人の産声の内容を「毎自作是念以何令衆生得入無上道速成就仏身」(全p879)という法華経の如来寿量品の最後の偈とすることに至っては、明らかな創作的附加と見る以外にないが、これは、産湯相承に引用されている「唯我一人能為救護」の文と同じく、日蓮大聖人が衆生を救済する存在であることを強調していると考えられることから、産湯相承そのものが日蓮本仏思想と一体的な関係にあることが考えられる。


 言い換えれば、日蓮大聖人を教主釈尊の如く拝するという興門の理解と確信に基づく思想展開の上で、大聖人の出生を釈迦の誕生になぞらえて記述すること、すなわち、釈迦の誕生偈の「三界皆苦吾当安之」の「苦吾」を下敷きとして産湯相承に「苦我啼く」という一節が付け加えられたと考えられる。


 また、このような相伝内容の付加は、一般的な説教とか公開を前提としたものとは異なり、授け手側の知識、思考、悟りとも言える内容をより直接的に表現していることが考えられる。言い換えれば、日蓮大聖人の誕生を釈迦の誕生になぞらえて表現し、日蓮大聖人が衆生に仏身を成就させるために誕生したとすることで、日蓮本仏思想を後世に端的に伝えることを目的としたものと考えられる。

前の記事

産湯相承物語(15)

次の記事

産湯相承物語(17)