産湯相承物語(15)
15・富士・日蓮一体論
日教本、保田本は、日本の国を象徴する富士山の固有の名称が大日蓮華山であり、文字通り日蓮大聖人の名前を冠していることから、日本、日神、日種太子(仏の幼名)、善日(日蓮大聖人の幼名)が一体であると記している。
当該内容は、御実名縁起には見られないが、そのことについて日意は「富士山ヲ自然ノ名ニ 大日蓮華山ト云フ 日蓮ノ御名ニ天性一體ナル由ヲ注ス 是ハ不審ナル故ニ略之也」とし、富士山の元々の名称と日蓮大聖人の名前との間に天性とも言うべき一体性についての注釈があったが、それについて書写を省略したことを明記している。このことからは、御実名縁起が書写した原典には、富士・日蓮一体論が存在していたことは確実と考えられる。
また、日意は疑義を呈しているが、富士山を大日蓮華山と称することについては、産湯相承のみに見られる主張ではなく、すでに『五人所破抄』 にも「富士は郡の号、即ち大日蓮華山と称す。爰に知んぬ 先師自然の名号と、妙法蓮華の経題と、山州共に相応す」とされており、富士門流においては、かなり早い段階から、富士山と日蓮大聖人の一体性についての意識が醸成されていたことが認められる。
このため、産湯相承における、梅菊女が懐妊に際して見た日輪を抱く夢について、富士山の記述が誇張されたものであったとしても、それは富士山と日蓮大聖人を一体視することの延長線上のものと考えられることから、産湯相承の夢物語の存在を否定的に考える必要はないと考える。
また、産湯相承が記す富士・日蓮一体論について、『五人所破抄』の成立時期に近似して成立したと推定することもできることから、産湯相承のテキスト成立時期を、必要以上に後代のものとする必要はないと考える。