産湯相承物語(14)
14・末法教主(勝)釈迦仏
日蓮大聖人の御在世の立場として、内心では上行菩薩の再誕との自覚を有していたとすることについては、概ね共通の理解が得られると考えるが、上行菩薩が末法弘通の附嘱を受けていることに着目して、末法における教主の交代を想定し(考え方1)、その末法において交代した教主を中心とすることからさらに進んで、釈迦を旧主として迹と見る考え方(考え方2)が生じたことが考えられる。
日教本、保田本が「末法教主 釈迦仏」とするのに対し、御実名縁起は「末法教主 勝釈迦仏」として「勝」の一文字を加えているが、日輪の懐妊と、日教本、保田本における諸天の賛嘆が教主の交代(考え方1)を象徴していると考えられるのに対し、御実名縁起における「勝釈迦仏」という表現は、釈迦仏に勝る仏ということから、釈迦を迹仏と見る考え方(考え方2)を表していると考えられる。
このことは、御実名縁起が日教本、保田本に比べてより素朴な表現ではあっても、そのことだけで、日教本よりも早い時期に成立していたと見ることにはより慎重にならざるを得ないことを示していると考えられる。
もっとも、考え方1と考え方2の成立に時間的にどの程度の差があったかは俄に見当がつかないし、上行菩薩が末法弘通の附嘱を受けていることからは、末法において教主に相当すると考えることは論理的帰結とも考えられる。
また、考え方2のように、実際に日蓮大聖人を本仏として位置付け、釈迦を迹仏と定義するかはともかくとして、大聖人の存在を重視することは富士門流に限ったことではない。各門流にあっても本尊堂より祖師堂を大きく作り重視するなど、程度の差はあれ祖師信仰の傾向が窺えることを考えれば、弟子の立場から日蓮大聖人を末法弘通の主体として仰ぎ見て、釈迦以上の存在と捉える考え方2についても、必然的な展開であったことが考えられる。
産湯相承は、このような日蓮信仰の深化(進化)について、結論を簡略に伝えようとしたものと考えることができるのではないだろうか。