【投書】日蓮初期教団の事蹟から学ぶこと~師匠の晩年から滅後にかけて「君たちはどう生きるか」

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投書者:林信男


師匠亡き後、残された弟子たちはどうすればいいのか?
何を拠りどころとすればよいのか?

その明答は、日蓮の一弟子である日興の言葉にあると思います。

師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり。
「原殿御返事」正応元年(1288)12月16日

師の教えを守り、師のこころと共に生きる。
日興の言葉には、富士日蓮法華衆を誕生させた師弟の魂脈打つ響きを感じます。同時に、これを言わねばならなかったことに師の入滅後、早くも師の言葉と心が薄れていった現実というものが読み取れます。

神社参詣を企て肯定する、波木井実長と一族の南部孫三郎。同じく神社参拝を可とする鎌倉の弟子たち。一方では、参拝不可とする身延山の弟子(日興)たち。
孫三郎は「日蓮阿闍梨は入滅候誰に値てか実否を決すべく候と、委細に不審せられ候の間」といいます。「師匠・日蓮阿闍梨は亡くなったのだ。もはや、法門の異解に関して解釈を示す、用否を決する人もいないのだ」と。そこには、「ならば新義を創ればよいではないか」との意図も感じられます。

ですが、日興は一言、「師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり」と、「師匠は入滅されましたがその言葉、御書があります。立正安国論に説かれるとおり(で正法治国・邪法乱国にして、正法が用いられず邪法が跋扈[ばっこ]する世では、神は天上に去ってしまい、神社には悪鬼が乱入しているのです)」と明快に教示します。

ところが、実長は日興の教示を受け入れずに民部日向にたずね、日向は「守護の善神が捨国となるのは安国論の一つの説であり、白蓮阿闍梨(日興)は外典読みであり、片方を読んで仏法の何たるかが分かっていない。法華経の持者が神社に参詣すれば、諸々の神も社壇に来会するのである」と言います。

実に示唆に富んだ展開ではないでしょうか。

・師匠が亡くなる。
・師匠亡き後、教団内で問題が惹起するのは驚くほど早い。
・その問題、論点に関して、師が定めた人物ですら、見解が分かれてしまう。
・師匠のような、誰人も受け入れ納得するような判定者がいないため、甲論乙駁となる。
・師匠の言葉・教示に様々な解釈や思惑が加わり、師の真意、思いに相当量の肉付け、またはカット、表現の変更(改竄)がされてしまう。
・その解釈が師匠の言葉、教示を継承・発展させるものなのか?
その逆で変質、捻じ曲げるものなのか?
判定者すらも存在しない。
・見解の異なる弟子の姿に迷う人も出る。
・実は、師匠の生前の教示からは「問題・論点の答え」は明らかであり、暗雲の上空で輝きを放っている。
・ところが「師の言葉・教示」のままに「師の思い・心」を継承する側に対して、自説に固執する側は正当化の理論武装を成す。
・結局は、「それぞれの道」ということになる。
等々、様々な分析ができると思います。

これまで見た展開からは、師匠・日蓮が三代(釈尊・天台・伝教)に直参・直結して繰り返しその言葉を記し、不惜身命の妙法弘通から末法の教主へと至ったように、日興は常に師匠と共に生き師の言葉・教示により問題・論点に向かい合い、何よりも「師のこころ」を守り継承していた、ということが理解できると思います。

それを端的に現したのが、「師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり」であり、今日の私達には『途中の人師・論師と共にではなく、いつも師匠と共に生きるのですよ』と教えているのではないでしょうか。

(文中、尊称略)