【投書】ブォルテールの言葉を学会組織に

投書者:悪いのはお前だ
先日、県幹部から、県幹部が担当している圏の壮年部グループ(15名ほど)への御書講義の依頼があり、大白8月号の先生の生死一大事血脈抄講義をもとに講義原稿を作成し、あらかじめ依頼主の県幹部に講義原稿を提出して、講義内容を認可してもらってから御書講義に臨みました。
その内容は当JIKATSUの投書サイト、9/5付『背教者原田一派をどう見破るか』の返信コメントとして私が地区の女性部に御書講義した内容を紹介させていただいたものから、執行部批判と受け止められる表現を一切省き、先生のご指導、教学要項の破折、身延派の教義文をもとに、文証・理証・現証から謗法呵責と獅子身中の虫の方程式をお伝えしました。すると数日後に県幹部から以下のラインが届きました。
「先日の生死一大事血脈抄の名講義の後の話は聞きたくないと大半は言っています。信心30年、50年すればもう完全な保守です急激な変化についていけない、急激な変化を求めない高齢の壮年です。あんな話し嫌やとの意見が続出しています、名講義の感動がさめてしまう。とのことです。生々しい、過激な話しは生理的にうけつけません。もっと若い世代 紅衛兵なら瞳をキラキラ輝やかして聞くでしょうが、高齢壮年には無理です。その昔、都知事の選挙のさい革新の坂井か、保守の東か一大決戦がありました。決定するのは第三勢力の創価学会。保守を選びました。東が勝ちました。マスコミは何故、東を選んだのか、との問に池田会長は、庶民は急激な変化を求めない、と。」
このラインを受けて私は以下のように返信しました。
「今回の講義内容につきましては、あらかじめ原稿を見ていただき、了解を得た上で、皆様に講義させていただきました。ということは、教学要項の謗法についてや、先生の昭和52年の生死一大事血脈抄講義についてや、日蓮宗身延派の教義文章についてなど、すべて『その通りである』と認可したことになると私は考えておりましたが、間違っておりますでしょうか?
したがいまして、その講義内容に批判があったとしても、私は『参加者から批判があっても、私が責任を持つから、これからも頑張れ!。謗法呵責は重要だ』と、おっしゃって欲しかったです。また批判している参加者の皆様には、『私があらかじめ講義内容の原稿を読んで認可したこと。謗法呵責は重要だから、感情的に受け入れられないのは、いかがなものか』と言って欲しかったと、私は思っております。」
さっそく別の県幹部と総県幹部から数日前に私に会いたいとの連絡がありました。私が尊敬する大先輩からも、「もしそのような連絡が入ったら、決して受け入れてはならない。会うなら相手は一人にしなさい。厳しい査問をされて、病んだ人が何人もいる」と教えていただいたので、とりあえず県幹部一人と会うことにしました。事後報告をまたさせていただきます。
フランスの哲学者、ブォルテールは有名な言葉を残しています。
『私はあなたの説には反対である。しかし、あなたがそれを発言する権利は、命をかけて擁護する』
この言葉通りの学会組織であることを、切に望むのは、私一人ではないと確信いたします。
[悪いのはお前だ]様の破邪顕正の戦いに敬意です!先生が生前、何度も何度も
「師弟」について語って下さいました。それなのに、県幹部ともあろう者共が
それを全くわからない・・これが仏道修行の厳しさなのでしょうか。
高齢者を敬うのは当然ですが、本当の仏法正義を知らずして、霊山に旅立つのを不憫とも思います。団塊の世代にも、最後に大きな「ふるい」が待っていたという事でしょうか。我ら「師弟」を貫くのみ!ですね・・