投書者:カナリア
有名な歴史だが、日蓮大聖人は入滅の直前に門下の高僧の中から六老僧を定めた。
しかし、日興上人以外の五老僧は、大聖人様ご入滅後「天台沙門」と称し、自分達は伝教大師の余流であると名乗った。明らかな裏切りであり、師敵対である。現在の創価学会においても、同じ原理が示されている。どうしてこのような事が起こるのだろうか?
原田・谷川一派はどうして「背教者」になってしまったのか?
以下、御書を参考に考えてみたい。
大聖人様は、「聖人御難事」(P1191)のなかで、「裏切り・退転する者」の特徴を、「をくびょう(臆病)・物おぼえず・欲深く・疑い多き者」と書かれている。まさに「ドンピシャリ!」当て嵌まっていると言わざるを得ない。
前提となる事として、前回も書いたが、彼等には師匠への「報恩の
念」が無い。それどころか、先生の功績や人格の素晴らしさに「
黒い嫉妬」を抱いているとしか考えられないのである。歪んだエリ
ート意識は、師匠をさえ妬ませるに至るのであろうか?
①臆病。自分達の指導力に自信がない彼等は、宗門(日蓮正宗)に怯えている。宗門には歴史がある。会員が宗門に戻ってしまうのを恐れている。日興門流の教義と宗門(日蓮正宗)は分けて考えねばならないのに、一緒くたにして、兎にも角にも、宗門から離れようとしている。むべなるかな。釈迦本仏論なら確かに宗門とは異なれる。
②物覚えず。「創価学会は庶民の味方。権威、権力に屈してはならない」等々。先生は何度も何度もご指導してくださった。頭のいい彼等だが、大事なことは何も覚えていない。
③欲深く。日本は人口が減っていく。これからは世界だ。特に人口の多いインド。世界の人々は日蓮を知らない。世界で会員を増やしていくためには釈迦本仏論の方が都合がいい・・。
私の友人のある壮年曰く「日蓮より釈迦のほうが儲かるってことですかね」と。的を射た言かも知れない。彼等にとって教団運営はビジネスなのだろう。
④疑い多き者。彼等はお師匠様のご指南だけではなく、根本の御本尊様さえ信じられない。教学要綱で、今まで一大秘法は「御本尊」だったのに、あっさり、身延派と同じく「南無妙法蓮華経」の題目に変更した。
彼等は「文底仏法」や「人法一箇」、「久遠元初自受用報身如来」も「人本尊」も疑い、信じられない。
原田・谷川一派の面々も、先生をお師匠様と定め、一生懸命に信心に励んでいた時期があったと思いたい。しかし、人間は変わる。そして今では「背教者」になってしまったという自覚もないのだろうか。歴史は繰り返すと言うが、厳しくまた、悲しい現実ではある・・。