病魔との闘いを使命に変えて―夫婦で歩む広布の道

佐藤 千春

私は昭和40年、両親が創価学会員の家庭に生まれました。
生後7カ月の時、小児コレラという病気になりました。近所のお医者さんからは胃腸が悪いと言われましたが三日過ぎても治るどころか益々ひどくなっていき、顔は紫色になり目の玉は動かなくなりました。ただ事ではないと思った母は必死にお題目をあげ、先輩に指導を受けました。お題目が根本だけれど小さな病院ではダメよ、大きな病院で診てもらいなさいと言われ、日赤病院に連れて行きました。医者からは「もう手遅れです、お葬式の準備をしたほうがいいですよ」と冷たい言葉が返ってきました。私の身体は心臓がかすかに動いているという状態でした。父と母は「この子を助けてください」と、すがる思いで必死にお題目をあげました。医者が私の身体を触ったとき、「オギャ-」と鳴き声を上げ、「この状態でこんな声が出せる生命力があるなら、もしかしたら助かるかもしれない、しかし、この状態で助かった人は見たことがない、おそらく駄目ですよ」と言われました。父と母はさらに祈り、母の心に「この子は助かる!」と確信が出てきた時、不思議にも奇跡が起こり助かることができたのです。
医者が「この病院で一番の重病患者でした。何が効いたのか分かりませんが、奇跡としか言いようがありません」と首をひねっていたそうです。

私の祈りの原点になったのは高校三年の就職試験です。御祈念版に希望の条件を書き出し真剣に祈り、ある会社を受けました。筆記試験では前日参考書を開いたところが出題され、苦手な数学は一題も出題されず、面接も完璧に答えることが出来、絶対に合格間違いなし!と確信していましたが結果は不合格、もう後がないと思い、それまでの祈りを一変し、”広宣流布の為にお役に立てる会社”と祈りを一本にしました。そして受けた会社は二泊三日で試験が行われ、筆記試験は苦手な数学がプリント3枚、面接では質問に答えることができず、もう完全に落ちたと思っていたのですが、なんと合格してしまうのです!そして驚いたことに御祈念版に書いた通りの会社でした。

私はこの時、”広宣流布の為”と祈ると、祈りが叶うんだなぁと思いました。この時以来、祈りの中心に広宣流布の為と祈るようにしています。希望に燃えて入社しましたが、ここからが地獄の日々の始まりでした。先輩3人からいじめにあうのです。職場経験のなかった私は人間関係を条件に入れていませんでした。
とにかく馬鹿にされ毎日ひどい罵声をあびせられました。悔しくて何時間もお題目をあげました。そんな時、池田先生のご指導に「どんな学者や博士であってもお題目をあげ抜いた人には誰人もかなわない」とありました。お題目をあげ続けていくうち、はっとしました。それまで先輩たちを責めていた生命が「私に原因があるんだ、御本尊様、私の悪いところを直してください、そして先輩の長所をみれる人間に成長させてください!」と祈りが一変しました。すると翌日から状況が変わっていき、いじめも無くなり先輩達とも仲良くなり、あれだけ馬鹿にされましたが、全国の事業所でトップの成績を得ることができました。 いじめを受けている最中、学会から職員の話が2度ありましたが、実証を示すまでは辞めないと決意し、断って良かったと、今、つくづく実感しています。

私にとって身近な信心のお手本は母です。既に他界していますが、信心強情な母の最期は見事でした。そんな母への親孝行は結婚して孫の顔を見せてあげる事だと思い、ご本尊に絶対に叶えてくださいと真剣に祈りました。しかし、その祈りは叶うことなく母は病気で突然亡くなりました。祈りを叶えることができなかった自分を責め、絶望的になり、生きる意味が分からなくなりました。自分を責め続ける苦しい日々が続きましたが、ある日お題目をあげていると、母は本当に満足し【歓喜の生命】で霊山へ旅立っていったんだと、心の底から感じることができ、その瞬間、目の前がパッと明るくなり、心に太陽の光が差し込んでくるようでした。まさに「地獄の苦しみぱっと消えて」のご金言通りでした。

母が亡くなって半年後、ようやく明るさを取り戻したころ主人と出会い、交際0日で結婚しました。
幸せな結婚生活がスタートした直後、病魔が襲ってきました。身体中の関節に激痛が走り、身体を動かすことができなくなり寝たきりの状態になってしまったのです。関節リウマチと診断されました。進行すると骨が変形してしまうという原因不明の完治できない病気です。痛みを無くし進行を遅らせる治療をしていくのですが、治療の為、子供を諦めなくてはいけなくなりました。主人に私と結婚して後悔していないか聞きました。主人は「そんなこと微塵も思ってないよ、一緒に宿命転換していこう、大悪起これば大善来たるとあるように、一番苦労した人が一番幸せになる信心だよ、何の苦労もない人より何倍も味わい深い人生を送ることができるんだから、福運を積む最大のチャンスだと思っているよ」と力強い言葉をかけてくれました。治療が始まり私の場合高額な薬が必要となりました。当時東京で生活していましたので、高い家賃や諸々の生活費で、毎日治療費の事で頭を悩ませていました。
結婚する時、父が何の準備もしてやれなかったからと100万円渡してくれました。その時この100万を財務に御供養しようと決意しました。でも治療費の事を考えると財務ではなく治療費にあてようかと悩み主人に相談しました。主人は「財務は100万やろうよ、治療費は絶対なんとかなるから」と、私の迷いを吹っ切ってくれました。「御本尊様、100万は広布の為に使っていただきます、治療費のことは、どうかよろしくお願いします」と祈りました。色々考えると不安が襲ってくるので、余計なことは考えず、とにかく広宣流布の為、とだけ祈りました。その数日後、病院に行ってみると「佐藤さん、治験を受けてみませんか」と言われました。その治験とは、最終段階のもので副作用も安全性も確認されており、日本ではたった100人しか受けることがでないものでした。4年間治療費は無料、しかも交通費として病院に行く度7000円も頂けるのです。日本にリウマチ患者は80万人いるなか、たった100人に入れていただけたことは本当に功徳だと思いました。治験開始後は劇的に回復し半年後には完解状態となりました。補足ですが、当然今の学会に御供養しても功徳はありません。

その後、実家の愛知に戻り地区婦人部長として活動するなか、またも病魔が襲ってきました。
コロナ禍直前、子宮体癌が見つかったのです。幸い初期の段階で手術のみで抗がん剤治療はやらなくて済みましたが、癌になったことでそれまで使用していたリウマチの薬が使えなくなり、暫くの間、痛み止めとステロイドで治療することになりました。薬はほとんど効果がなく、激痛が身体中を攻撃してきます。ほんとに”生き地獄”だと思いました。なんとか別の薬での治療が始まり、痛みも無くなり安堵していた矢先、今度は悪性リンパ腫が見つかりました。血液の癌ということで、またもリウマチの薬が使えなくなり暫くの間、痛み止めとステロイドでの治療を再度宣告され、またあの地獄の苦しみを味わうのかと思うと、宿業の深さを実感し、ひとり泣きながら唱題しました。お題目をあげていくうち、「宿命とは使命の異名なり」とのご金言が浮かび、生まれてすぐ死の宣告を受けた時、母が指導を受けた先輩から「使命のある子なら助かりますよ」と言われたことを思い出し、これは私の使命なんだ、必ず乗り越えてみせる!という強い気持ちが湧いてきました。幸い悪性リンパ腫も手術のみで経過観察だけでいいと言われました。この二度の癌を経験し、地獄の苦しみを味わったことで、本当の同苦の意味を知ることができました。こうして病魔との闘いとコロナ禍が重なり、私は対面での活動は自粛することとなりました。医者から「今感染すると間違いなく重症化します。家族も含めてできる限り人との接触、外出は控えてください」と言われました。未知の感染症、死と隣り合わせの不安な日々を過ごす中、幹部に状況を訴えても、地区部長をしている主人は会合に参加することを強いられ、選挙の戦いになると、できる限り対面での会合、都議選では東京に行くことを推奨する始末、まるで私のような弱者は見捨てられたような気持ちになり、池田先生がこんなことをするわけがない、という思いと、原田会長と先生は連携していると思っていましたので、先生のご指示なのかという思いに悩み、苦しくて苦しくて「先生の声が聞きたい!」と泣きながら唱題していました。そんな中、聖教新聞に載ってくる先生のご指導を読んで違和感を覚えました。先生はいつも一番苦しんでいる人の為にご指導をしてくださっている、今、こんな薄っぺらな指導をするはずがない、これは先生のご指導でない!と、気が付きました。
既に主人の方が先に気づいていましたが、ある日、主人が「原田会長が僭聖増上慢だ!」と言い放った時は、さすがにそこまで言うのはどうかと、その時は原田の悪に気づきませんでした。主人は私に話すまで相当悩んだようです。そして「支援活動も学会活動も一切しない」と宣言してきた時は、これから先どうしたらいいのか、離婚もよぎりました。 「正しい師弟の道、正しい広宣流布の道を歩ませてください」と毎日真剣に祈りました。その間、主人が以前解任されていた遠藤さんと連携し、歓喜する姿を見て、私も遠藤さんに会いたいと思うようになり3人で会うことになりました。遠藤さんの話は初めて聞くことばかりでしたが、それまで疑問に思っていた事が全て腑に落ち、原田執行部こそが諸悪の根源であり、極悪天魔という事が心の底から納得できました。それからは池田先生を裏切り、苦しめた原田執行部を絶対に許さない!先生の敵を討つ!という祈りに変わり猛然とお題目をあげ、友人に1人、また1人と対話していきました。極悪との闘いを開始してから、様々な功徳をいただきました。主人が膝の手術を予定していましたが、術後は半年間仕事を休まなければいけないという状況が、男子部自活メンバー鈴木達也君の紹介でカイロプラクテイックに行き、手術を回避することができ、仕事をしながら治療することができる状況になったり、私の中耳炎が病院で治療してもなかなか治らず憂鬱な日々を過ごしていましたが、そのカイロプラクテイックに数回通っただけで完治してしまうなど、「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」のご金言通りだと実感しました。そして一番の大功徳は、悪を見抜き正しい信心を貫かせていただける事だと確信しています。自活メンバーの方と交流し悪を滅する祈りをしていく中、もうこれ以上組織での活動は無理だと感じ、本年1月、夫婦で組織に拳をあげました。その後、2度査問を受けました。私達夫婦は先生のご指導、御書を通し具体的におかしいと破折しているのに対し、幹部は何も答えることができず、教学要綱の指摘も受け止め方の違いです、の一点張りで話になりませんでした。2回目の査問の後、正しい事をしているのに反逆者扱いされる悔しさで、お題目をあげていると涙がこぼれました。その1週間後、役職解任を言い渡されました。解任理由の後、主人の人格否定をし始め、最後はそんな話しかできないのか、これが仏法者の姿なのかと、もうあきれ果てました。その日は天候が悪く、風がゴーゴーと音を立て、まるで諸天が怒り狂っているように感じました。そして不思議にも解任されたその日は、亡くなった母の誕生日だと気づき、母が褒めてくれているように思いました。翌日の朝、空を見上げ、こんなにすがすがしい朝は生まれて初めて!と思うくらい、本当に晴れ晴れとした気持ちになり、そして空には綺麗な虹が二重に出たのです!諸天が夫婦二人でよく頑張った!と喜んでいる様に感じました。私の進む道は絶対に間違ってない!と大確信しました。

今年は自身の発迹顕本の年にすると決意し、1月より毎月友人に対話し、同じ思いの同志が次々と立ち上がり、愛知自活メンバーで毎月堅塁座談会を賑やかに開催しています!未来部、男子部、壮年部、女性部、老若男女が集い、活動報告、体験発表、御書、先生のご指導を学び合い、もう楽しくて、あっという間に3時間が過ぎてしまいます。この座談会が触発の場となり、それぞれが自身の課題や宿業と向き合い、目標を決め、祈り、共に励まし合いながら自発能動で行動しています。そして何よりみんな歓喜して集えること、これこそが正しい師弟、広宣流布の道だと確信します!

現在、私の病状は癌の再発、転移も無く、リウマチの痛みも無くなり元気いっぱい自活信仰に励んでいます。 これまで様々な体験を通し実感することは、この信心は師弟がなければ生涯貫いていくことはできない、また ”広宣流布の為” という一念が大切だということです。池田先生は「ただ唱題、ただただ広布」と仰ったことがあります。命尽きるその日まで広宣流布と一念を定め、これからも夫婦二人三脚で闘ってまいります!

病魔との闘いを使命に変えて―夫婦で歩む広布の道” に対して1件のコメントがあります。

  1. 武蔵 より:

    数々の病魔に苦しみ、人間関係に悩み、そして人生、生命をかけて戦ってきた組織からの理不尽な迫害を受けながらも、その全てを御本尊様への純信一途な信心で乗り越えられ、さらに「命尽きるその日まで広宣流布」との一念で今現在も力強く邁進されているお姿に深く胸を打たれました。本因妙に生きる人生とはまさに佐藤さまの生き方そのものだと強く共感いたします。
    そして、この信心こそが、負けない勇気、力強い希望を生命の奥底から湧き立たせる源泉であることを改めて確信させていただきました。
    私もまた新たな決意で進んでまいります。
    素晴らしい体験談を発表していただき本当にありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA