【投書】「御観念文」と「御祈念文」

投書者:藤原 玄一
創価学会では、2015年に、「御観念文」を「御祈念文」と言い換えました。しかし、そんな言い換えが可能なのでしょうか。
ちょっと考えただけでも、「広宣流布祈念」以外の
「諸天供養」、「御本尊供養」、「三師供養」、「回向」などは、とても「祈念」という言葉の範疇には収まっていません。
先日のオンスタにて、『「御観念文」と「御祈念文」とは何が違うのか』との疑問が出された時、虚を突かれてしまったのです。
つまり、そこを良く考えて来なかった事に気付かされたのでした。
そこで、「観念する」について、改めて考え直してみました。
「観念する」と「祈念する」を同じように思っていましたが、そういう時、英語で説明しようとしてみると、全く別物であることが解ります。
1.「観念する」対象について
時代劇などでよく聞く「観念せいっ」という台詞は、仏法用語から来たもので、ここには色んな事が省略されています。「観念せいっ」の一言には、「勝敗は既に決せられたので、ここに至っては、仏を観念し、静かに最期を迎えよ」との意味合いがあります。(ここから派生して、今では「諦めろ」との意味合いが強い)
要するに、「観念する」には、仏などの対象が必要なのです。「御観念文」での「観念する」対象は、「諸天」、「御本尊」、「大聖人」、「日興上人」等ですが、これら対象の何を観念しているのでしょうか。
これら観念対象に関する「御観念文」の記述は、対象の定義なのか、対象の概念なのか、いや、もっと深く教義に根ざした何かです。
――目には見えなくとも確かに実在する何か――
これは古代ギリシャの哲学者プラトンの言う「イデア」みたいだと思い至り、これを使う事にしました。
英語のideaの語源も、この「イデア」ですので、ideaはそまま使えます。
即ち、「観念する」対象とは、「大聖人の仏法のイデア」である、英語では「Nichiren Daishonin’s Idea of Buddhism」としました。
2.「観念する」を英語で言うと
上記1項で、観念対象は英語で説明できましたので、あとは、「観念する」を英語でどう言うかです。
「観念する」を「思う」または「考える」という意味の英語にしようとしました。すると、そんな英語は仰山あって、例えば、
think、guess、feel、suppose、expect、assume、believe、suspect、wonder、consider …等々、
一つ一つ調べてみました。しかし、どれもぴったりと来ない。
そんな時、ふとJohn Lennonの「Imagine」が思い浮かんだのです。そう言えば、あの曲の歌詞は、御観念文の「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」みたいな事を歌うとるなあ。これ、使えるんちゃうか、と思いつきました。
とは言うものの、学生時代から英語が不得手で、全く自信がなかったので、今流行りのAIに相談してみました。
私からAIへの質問:
目には見えなくとも確かに実在する何かを「思う」、という時の「思う」に「imagine」は使えるか?
例えば、John Lennonの「Imagine」のように。
これに対するAIの回答は次の通りです。
===========以下、AIの回答===========================================
John Lennonの「Imagine」のように「思う」を使いたいということですね。それなら、「imagine」は単なる想像ではなく、理想や信念に近い意味で使われているという点が重要です。
「Imagine」の使い方と意味合い
John Lennonの「Imagine」は、現実には存在しないが、心の中では確かに“ある”と信じている理想世界を描いています。これはまさに、玄一さんが言う「見えていないが実在すると信じるものを『思う』」という意味合いにぴったり。
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one
この部分では、「imagine」は信念に基づいた希望の表現です。単なる空想ではなく、実現可能性を信じている未来像なのです。
John Lennonの「Imagine」における「imagine」は、信念と希望を込めた“思う”の英訳として非常に力強く、詩的です。 玄一さんが求めている「見えないが確かにあると信じるものを思う」という感覚には、
まさにこの「imagine」がふさわしいと言えます。
===========以上、AIの回答===========================================
という事で、「観念する」を英語で説明すると、こうなります。
「 Imagine Nichiren Daishonin’s Idea of Buddhism 」
更に、「御観念文」は次のとおりです。
「 Imagine Nichiren Daishonin’s idea of Buddhism in accordance with this passage. 」
3.因みに「御祈念文」は
「祈念する」は、英語では「Pray」、これだけです。よって、「御祈念文」は次の通り。
「 Pray according to this passage 」
これは推測ですが、創価学会が「御観念文」を「御祈念文」と言い換えたのは、海外メンバーへの説明の困難さを避けたのではないか、と思います。「御観念文」の内容を簡略化したのも、もしかしたら、同じ理由からのように思います。
今回の考察で、「御観念文」と「御祈念文」とでは、
大きな相違があると解りました。
「広宣流布祈念」においても、上記1~2項の意味合いで「御観念文」として捉えるならば、「広宣流布」を乞い願う(Pray)のではなく、実現可能性を信じる未来像として「御観念」して行く事が大事である、と改めて思います。