【投書】一学会員の所感ー公明党について思うこと

投書者:吉野幹男
公明党については考えることが沢山あります。
まず第一に問題と思われることは、公明党が創価学会と一体不二の存在になっていて国民政党としての実体を持っていないということです。
党員のほぼ100%が学会員であること、党の代表選挙が実質的には行われず(対立候補なし)、党の代表も学会執行部によって決定されることがまず挙げられます。実際には政党というのは外形だけで、内実は創価学会の政治局です。選挙活動も創価学会に「おんぶに抱っこ」で、選挙戦の遊説計画などを含めて一切が学会幹部によって指導されており、集票活動も学会の組織にゆだねられています。基本方針の決定も党自身ではなく、学会執行部によってなされているのが実態です。例えば学会の第一線組織である「地区」は公明党としては「分会」と言われ、パンフレットやポスターなども分会で何枚というように地区ごとに配布されます。学会の組織がそのまま公明党の組織にされているのです。
それまでは野党であったのに1999年に自民党と連立政権を組むという根本路線変更の際も公明党内部で実質的討議はなされず、創価学会によって意志決定がなされました。当時の野中自民党幹事長の脅しに屈して自民党と連立を組むに至った経緯は魚住昭著『野中広務 差別と権力』(講談社文庫)などに詳しく記されています。ある人が言っていました。「学会の 学会による 学会のための政治」と。厳しく言えば、創価学会の権益を守るための存在が公明党です。
公明党議員が外部的攻撃から学会を守る「用心棒」「防波堤」になって働く例としては、矢野絢也衆議院議員(元公明党委員長)が国税庁による創価学会への税務調査(1990年~92年)を妨害するために暗闘した例などがあります(その事情は矢野絢也著『乱脈経理』〈講談社〉に詳しい)。矢野氏の証言がほぼ事実と見られることはこの件に関して学会側から矢野氏に対する抗議も訴訟も一切なされていないことからもうかがわれます。
この税務調査は1988年に1億7千万円が入った金庫を学会側がゴミとして捨てた事件がきっかけになって開始されたものです。結果としては、学会の申告漏れは大幅に減額され、美術品の財産目録や学会本部会計の貸借対照表の提出も猶予されるという、学会側に極めて有利な形で決着しました。矢野氏の働きがその結果をもたらす大きな要素になったと考えられます。
公明党が実質的に創価学会の政治部門になっていて、基本路線や重要政策の決定も学会執行部に握られている実態は、公明党と学会双方にとって不幸なことです。
党としては、自主的に政策を生み出す自由がないために政治家として見識と能力を磨く機会が奪われ、学会組織の上に安住してしまう傾向が生じます。「選挙の時だけ頭を下げていれば学会の組織が当選させてくれる」という慢心に陥ることになります。そこから、議員という地位を鼻にかけて高級店で豪遊したり、利権をむさぼって裏金をため込んだり、男女問題を起こす者が後を絶たない状況になるのです(先の矢野絢也元委員長も、いわゆる明電工事件で2億円の現金を授受していたことが報じられています)。
ある意味では議員になった人も「犠牲者」です。議員にならなければ、官僚や企業幹部、あるいは弁護士や公認会計士などとして社会で存分に活躍できたものを、議員になったために学会執行部の道具にされ、用心棒として利用されるだけの存在になったからです。任期が終われば「使い捨て」です。
学会の方でも、議員を抱えていると議席の保持あるいは拡大が最優先の目標になり、自分の地域の選挙だけではなく周辺地域の応援もやらされて「年がら年中、選挙漬け」の状態になります。教学の研鑽や弘教など本来の宗教活動は後回しにされ、選挙がないわずかな期間は疲れを癒す休息期間となるのが実態です。会合に行けば選挙の話ばかりで、F(友人票)や交流数の報告などに時間を取られ、何の歓喜もなく、虚しさと疲労感が募ってきます。真面目に会合に参加していても仏法を実践している実感が持てません。政治活動の要素が余りにも大きすぎて、宗教団体というよりも一種の政治団体になっているからです。
創価学会として公的には「政党支持の自由」を掲げていますが、会合で公明党の不支持を言い出せる雰囲気ではなく、そんなことを皆の前で公言すれば激しく非難され、叱責されます。公明党不支持を宣言している人は決して幹部に登用されません。綺麗ごとを並べている建前と組織の実態は正反対で、学会内部では実質的に政党支持の自由、言論の自由は奪われています。その傾向は近年、とみに強まっているようです。かつては教学研鑽や弘教などの宗教活動が主で、その合間に支援活動をしている感じでしたが、最近ではそれが逆転しているのです。会員の中では「選挙をするために学会に入ったのではない」という不満が高まっています。国政選挙において選挙をするたびに公明党の得票が目立って減少しているのは、学会員の選挙に対する熱量が急速に低下していることの表れでしょう。ちなみに衆議院選挙比例での公明党の最高得票は2005年の郵政解散の時の898万票ですが、2024年の衆院選では596万票と、20年足らずで300万票以上、実に33%も減らしています。これは現在の公明党と創価学会を一体にした在り方が明確に岩壁に突き当たっていることを示しています。このままでは党勢の衰退は加速化する一方でしょう。公明党が創価学会の政治部門に過ぎないことが社会的にも見破られ、支持されなくなっているからです。
この行き詰まりを打開する道は公明党を学会から実質的にも独立させる方向しかないと思われます。具体的には党員を学会員以外からも広く募り、候補者の選定や代表選挙も党員に開かれた形にすることでしょう。当初の党員は学会員が大半であったとしても学会から独立した党の組織を作り、選挙運動も党組織によって行うのです。そうすれば、創価学会が公明党を支配し道具として利用することは当然できなくなりますが、学会の組織は選挙活動の重圧から解放され、本来の宗教活動に励むことが可能になります。党も学会の束縛から離れて、内外の意見や批判を取り入れながら自由に成長していくことができるでしょう。
実は公明党の実質的独立は、創価学会の池田大作第三代会長がいわゆる言論問題で謝罪した1970年(昭和45年)の本部総会で明確に打ち出した方針でした。この時、池田会長は次のように述べています。
「もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。いつまでも自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。(中略)当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は、日蓮大聖人の仏法、三大秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、全く干渉するものではありません。(中略)選挙にさいしても、公明党は党組織を思い切って確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行なっていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来通り地域ごとの応援は当然していきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広くつのって、確固たる基盤をつくっていただきたい、と公明党に要望したい」(『池田会長講演集』第3巻20㌻)
学会の内外を問わず広く党員を募り、選挙活動も党独自の組織で行うというこの方針は、残念ながら現実化することはありませんでした。形式的には創価学会と公明党は別組織となりましたが、立候補者の選定も選挙活動も学会の意志のもとで進められる実態は今日まで変わることなく継続しています。しかし今こそ、この会長講演に立ち戻る時が来ていると思います。時代は大きく変わりました。公明党を学会を守るための「用心棒」「防波堤」として利用していくことはもはや立ちいかなくなっているのです。
公明党支援がそのまま立正安国・王仏冥合であるという考え方は政治と宗教を混同しており、誤りだと思います。「立正安国」とは、文字通り正法を確立することによって国家・社会の安穏と繁栄を実現させることです。今日は国民主権の時代ですから国民一人ひとりが「国主」であり、正しい仏法を流布することが人々の生命変革と国家の宿命転換を可能にするという思想です。正法を実践する人が増えていけば国土そのものに福運がついていくことを教えているのです。「王仏冥合」とは仏法と王法すなわち社会の諸活動の精神が暗々裏に合致していくこと、つまり仏法の慈悲の精神が社会の諸活動の基本理念になっていくことです。仏法を受持した一人ひとりがそれぞれの行動を通して社会全体を平和と繁栄の方向に変えていく――。それが立正安国・王仏冥合であると思います。先の池田会長の講演にも明らかなように、政治と宗教は次元を異にしているのであり、信仰が特定政党の支持に結びつくものではありません。公明党支援それ自体に功徳があるとか、支援しなければ罰があるなどというのは宗教を政治的に利用する態度であり、根本的な誤りです。どの政党を支持しようが自由なのです。今はその本来の原点に立ち戻る必要があると考えております。
吉野幹男様
ご投稿を読ませていただきました。
現在の学会、公明の関係性などに鋭く切り込み、破折された素晴らしい内容だと思います!
「当時の野中自民党幹事長の脅しに屈して自民党と連立を組むに至った」
「公明党議員が外部的攻撃から学会を守る「用心棒」「防波堤」になって働く例として、国税庁による創価学会への税務調査を妨害するために暗闘した」
なども個人的にとても納得がいきました。
また、「公明党を学会から実質的にも独立させる方向しかない」「仏法を受持した一人ひとりがそれぞれの行動を通して社会全体を平和と繁栄の方向に変えていく」等とのご意見にも全く同意です!
学会も公明党も、それぞれの「原点」「創立の精神」に一刻も早く立ち返るべきだと思います!
吉野幹男様、素晴らしいご投稿ありがとうございます!
正鵠を射た鋭いご指摘に全く同感です!
現在の学会、公明党共に、このような変質に至った根源はいずれもそれぞれの本来の目的、存在意義を忘れ、利害と名聞と保身に陥ったことにあると思います。
今や学会では支援活動を「宗教運動の一環」と明確に位置付け、会員の信仰心を利用して年がら年中公明党支援の活動を扇動しています。会員への訪問激励も、外部への有効拡大も、ともすれば聖教拡大、折伏でさえもその目的が支援活動のためになされているといっても過言ではないのではないでしょうか。
宗教性を失い、全てが政治活動に傾倒する今、吉野様ご指摘のとおり「会合に行けば選挙の話ばかりで、F(友人票)や交流数の報告などに時間を取られ、何の歓喜もなく、虚しさと疲労感が募ってきます。真面目に会合に参加していても仏法を実践している実感が持てません。」というのが心ある会員の本音ではないでしょうか。
そもそも、師匠の精神を歪曲して師弟を分断し、教義を捻じ曲げて己義をかまえ仏法を破壊した原田学会に、生命の奥底から湧き上がる信仰の歓喜や真の功徳の実感など得られようはずもありません。
その意味でも私も吉野様と同じく、信仰活動(あくまでも”正しい”信仰が大前提ですが)と支援活動を切り離し、はその本来の原点に立ち戻る必要があると思います。
吉野様、素晴らしいご投稿本当にありがとうございました!今後も鋭いご投稿をぜひともよろしくお願いいたします!
吉野様の投稿。私も100%同意します。
まだこの自活を知らずにいた頃 公明党の行く末を憂いて友人と二人で 人間革命の雲海の着想など読み合いながら話し合っていました。結果やはり 吉野様の仰るとおり党員の改革(実際には池田先生の構想に戻すということになると思いますが)をやるべきだと。 そして会員は信仰活動に専念すべきと。
今はその友人とは少し道が違いますが(私は自活1本になって、彼女は組織で役職を持って活動する道を選びました)
あの時の熱い思いがまた再びフツフツと沸き上がってきました。
素晴らしい投稿をありがとうございました。
吉野幹夫様
ご投稿を拝見しました。
ご投稿は全くその通りだと感じました。
公明党は「内実は創価学会の政治局にある」と指摘されているように、創価学会は公明党を裏で操っていると言っても過言ではありません。
肝心なところで、自分の意志をもつことができない公明党の存在意義はないと思います。
ましてや、政権与党となってからは、自民党に骨抜きにされ、庶民の党はどこ吹く風、まったく腹が立ちます。
無用の長物となった公明党は、即刻解党せよと言いたい。
それにもまして、権力と対峙した三代会長の精神を捨て去り、自己保身の輩となった創価学会を良しとする会員諸氏に目を覚ませと言いたい!
三代会長、なかんずく池田先生の御前で胸を張って「私は池田門下生です」といえるのか!と。
私自身、胸を張って池田先生の御前に立てる弟子となるよう日々精進してまいりたいと思いました。
吉野様の投稿に元気をもらいました。
本当にありがとうございました。
今の権力志向の創価学会を選挙で勝たしたらあかん!
彼らの横暴の基盤になってるのが、宗教的信念ではなくて、政権与党という権力やからや!
吉野幹夫様
吉野様のご投稿にすべて同意します。
もはや公明党の存在意義は完全に無くなったと私自身は捉えています。吉野様のご投稿を読ませて頂いてそれがより鮮明になりました。ありがとうございました。
教義が変な方向にむかったり、なんとなく組織絶対・全体主義になってきているのが、上の人たちの公明党を利用しての政治重視・権力重視が原因だとすれば、よく理解できます。だって実際現場では新聞啓蒙と選挙支援のことしかやってませんから。
それを覆すためには、選挙で負けさして、反省を促すしか手はないでしょうね。
吉野幹雄様、素晴らしい投稿をありがとうございます。深く賛同致します。今の公明党を支援してしまえば憲法を変え戦争に参加出来るように変えようとさえしている民主主義とは正反対の者達を支援することになり、ますます日本社会も世界も混乱をすると私も考えています。
吉野様のおっしゃる通り方向の転換が出来れば公明党も正常に機能していくことでしょうし、学会首脳部の悪人どもも駆逐されていくと思います。私も自分で出来ることを探して微力ながら戦います。
吉田幹夫様
丁寧な、ご投稿大変ありがとうございます。
読ませていただきスッキリした思いが致しました。
私の周りにも、先生がお創りなったから、どんなおかしな人物でも公明党だから応援する。と発言する方々がいます。もはや、冷静な判断が出来ない「異常差」を感じています。
縁ある一人一人に、吉田様のご投稿を自身の頭に入れ
語って行きたいと存じます。益々のご投稿、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
吉野様
詳細な裏付けと冷静な判断に基づいた素晴らしい御投稿を有難うございます。
創価学会と公明党との関係についての一切が説明されていると思います。
拡散させて頂きます。
仰る通り,公明党は学会の用心棒でしかない存在です(でした)。四月会から池田先生と創価学会を護るつもりが,与党になってすっかり権力の魔性に魅入られてしまった。最近の公明党議員のテイタラクは見るも無残なものになり果てました。選挙になると度々引用される「立正安国論」は大聖人が時の最大権力者に対して諌暁されたものです。権力側にいて都合よく使うものではありません。公明党には宗教政党としての矜持をもってもらいたい。そして宗教政党は権力から叩かれてこそ,その存在意義があると私は思います。
志ある学会員が他党から立候補する例もあります。胸を張って公明党支援を友人たちに訴えていた時代は終わりました。これ以上の敗北を重ねる前に,党として学会から独立する以外に道はないと,私も思っております。
本部執行部が犯してきた不正を隠すために政治を利用してきたという事がはっきりとわかり、胸のすく思いがしました。
現在の組織では『政党支持については、会員の自由意思にまかせ、全く干渉するものではありません』との先生の言葉は一切無視され、組織で他党を認める発言をすれば謗法のような扱いをされるほど大きく歪んでしまいました。
この論考を多くの方に読んでもらい、先生本来のお考えと共に真実をしっかりと伝えて参ります。
得心しました。
学会と公明党の関係の現状と問題点について、とても精確に記されていると思いました。
冀くは、公明党がせめて用心棒としての役割を完璧に果たして、不祥事をもって広宣流布の邪魔をしないことを。
投稿拝見しました
仰る通りと思います
私も昼夜問わず支援をしてきた者です
しかし政党の支持は誰にも横から
ものを言われる筋合いありません
池田先生が作った政党だから?
バカも休み休み言って頂きたいです
確かに先生が作られた政党でしょう
しかしその政党がその働きを示せないなら
最早、師敵対ではないかと思います
先生の理念が果たされないなら
もう支援する必要もないですし
私たちの生活が改善されていない
この30年
いい加減呆れています
支援する価値もないです
ありがとうございます
スッキリしました