大白蓮華5月号の「人間主義の哲学の光彩」の先生のご講義は、『
希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻「異体同心事」からの抜粋であ
るが、2013年2月15日第3刷の本書を学んでみると、大白に
省かれて掲載されていないご指導があり、興味深いところが、その
内容が現執行部へのご指導ではないか思ってしまうほど、すごく符
号しており、今更ながら、師の洞察力のすばらしさに感嘆してしまいます。
そういえば2006年11月の本幹で、先生は会長に就任したM・H氏に対して、厳しい口調で「派閥をつくってはいけない!」とご指導されていましたが、現況をみますと、その先生の洞察は的を得ていたとしか言いようがないと考えるのは、私だけでしょうか。願わくは、新刷される本書から、そのご指導部分が削除されないことを望みます。では以下にそのご指導をお伝えさせていただきます。共に学びたいと思います。
<希望の経典「御書」に学ぶ 第3巻「異体同心事」p51~55(抜粋)>
『組織論から見れば「異体同心」の実践上の急所は、リーダーの姿勢です。一見、矛盾するようですが、中心者が一人立ち上がることから、「異体同心」が始まります。指導者が真剣で誠実であれば、多くの人が共鳴して「異体」を「同心」にしゆく団結が生まれます。反対にトップが臆病で、権威的であれば、団結はできない。』
『その端的な例が、今述べた殷の紂王と周の武王との違いであるとも言えましょう。『史記』によると、紂王は「弁舌にたけ」「頭の回転が早かった」。また「怪力の持主」でした。しかし、優秀であるゆえに、己の「どんな非をも正当化し」「臣下を無能呼ばわりし、ひたすら自分の勢威を誇った」。』
『慢心のリーダーのもとからは団結が生まれないことは、歴史の教訓です。・・・紂王の悪政を諫めようとした臣下がことごとく排除され、「諂い」と「讒言」に長けた人間だけが残っていったのです。』
『大聖人は「周の代の七百年は文王の礼孝による」(御書p329)と記されています。周の国が長きにわたって栄えた「根本の功」は、文王が、礼を尽くして太公望という優れた師を迎え、先達を尊敬して大切にしたことにあるとの仰せです。』
『私たちの次元で言えば、「民衆の力」を高めるためにリーダーが「一人立つ」ところから一切が始まる。そして、その理念に同志が賛同して糾合し、「異体同心」の実践で、悪と戦い、悪を破る。そこに、広宣流布における民衆勝利の方程式が示されているといえます。』
『「一人立つ」実践と、独裁とは根本的に違います。確かに、「一人立つ」勇者には、屹立した責任感から、果敢な決断が必要な時がある。しかし、真の指導者は、独裁者と異なり、同時に、大勢の真摯な意見に耳を傾けるものです。特に今は、中核となる人たちと、よく話し合うことが大事です。』
『同じ責任感を共有するリーダーたちと何でも協議する。そして、対話の力でスクラムを拡大させていく。そうすれば、創価学会の組織は、もっと発展していきます。』
『したがって、指導者は、広宣流布の前進のために、そして皆が満足して立ち上がるために、何をすべきか、何を協議するか、絶えず心を配る。それが「異体同心」の組織の長の責務であると言えます。』
『中心者を支えていこうとしない異体異心の者は、厳しく言えば、敵を利することで「城者として城を破る」者となってしまうのです。』
以上ですが、教学要綱の発刊こそが異体異心の者の所業であり、三代に亘る師匠が不惜身命で築かれた創価の城を破ることになってしまうことを危惧します。一日も早い教学要綱の撤回を望みます。