【投書】現代版の捨閉閣抛(しゃへいかくほう)か!?

投書者:カナリア
先日、11月上旬に、須田さんの本「創価学会教学要綱の考察」をプレゼントした壮年部の先輩A氏と4か月振りにお会いした。かつて東京社会部でご一緒だったA氏には数年前から忌憚のないお話をする間柄である。読後感をお聞きしたところ、A氏の地元で壮年部の小会合があり、その折、教学要綱の問題点について、若干の問題提起をされたとの事。そしたら、会合に参加していた古参の支部幹部から「そんな本は読まない方がいい」と言われたらしい。
またA氏には男子部の息子さんがおり、その息子さんも「お父さん、カナリアさんに毒されないでね。僕はそんな本読まない!」と言われたそうだ。
A氏曰く、言い分の内容を吟味し、どちらが正しいのか判断すべきなのに、何も学ばないのは、創価学会のあり方として、違うのではないかと。
その通りである。そして私の頭には日蓮大聖人の破折の言「捨閉閣抛」の言葉が浮かんだ。
「捨閉閣抛」とは、法然が法華経など念仏以外の教えを、捨て・閉じ・ 閣(さしお)き・抛 (なげう)てと説いた事。日蓮大聖人は立正安国論で、こうした法然・念仏宗の、狭量さや盲目的なあり方を破折するため、象徴的な言として「捨閉閣抛」の言葉を用いられた。
似たような言に、日光東照宮の『三猿』がある。『三猿』には様々な意味があるようだが、額面通りに受け止めれば「見ざる」「聞かざる」「言わざる」、目を閉ざして見ない・何も聞かない・何も言わない・・になろうか。
「組織からだけは離れてはいけない!」そう教えられ、純真に信心を貫いてこられた多くの学会員さん。真面目に組織について、数十年の長い間、信心を持続されてきた学会員さん。僭上増上慢は、これ等の方々を、これ以上ない巧みさで、騙し利用します。
「創価学会に間違いはない!」「私の体験からも、この信心に間違いはない!」そう仰せになりたいお気持ちは、痛いほどわかります。
しかし、組織と信仰は別なのであり、「創価学会」という組織も「人」によって運営されているのであり、「間違いない!」は、先生亡き後は特に、残念ながら通用しないのです。
一方、信仰にブレがあってはなりません。日蓮大聖人の仏法はどこまでも深く、力があるものです。子や孫の代まで、池田先生のご指南通りの創価学会を残したい。其の為には学びに学び、破邪顕正の闘いを続けなければなりません。
その意味で、現代版の「捨閉閣抛」であってはならぬと思うのです。