【投書】「人法一箇」と「永遠の生命」 ~流産で亡くした我が子への想い~

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投書者:虹さん


創価学会の教学から「人法一箇」が消えた。

原田会長と教学部による教義条項の改正。新しく発刊された 「教学要綱」を読む・・・
それは、冷たい創価学会に変わりゆく「因」になると感じています

私にとって「人法一箇」はとても大切なもの。

美味しいお酒が手に入ったとき、仏壇に供えながら大聖人を想います。
「大聖人と直接語り合いたい。色々な話をしたい。」
このような、師を求める情熱と温かい感情が唱題中に湧き上がってきます。

まるで、社員や仲間と酒を酌み交わしたように、すぐそばに大聖人がいらっしゃる。私にとってご本尊は、生きている日蓮大聖人そのものなのです。

この気持ちは、本来日本人がもっている「仏さま」を敬う気持ちを込めた祈りではないでしょうか。

さて、私自身、臨死体験があるため「生命は永遠である」と確信していますが、生命の永遠性を裏付ける哲学的な理論が「人法一箇」です。
(「人法一箇」は生命が永遠でないと成り立たないと思います。論考はまた別の機会に。)
その確信によって、流産で亡くした子供(汐音:しおん)と、いつか出会えるという希望が湧いてきます。

今そこに汐音がいる!
唱題をしながら、色あせたマタニティマークを手で包み声をかけています。

汐音が成長した姿を想い、その時が必ずくるという確信。確信は希望に変わり、未来へ生き抜く勇気を後押しします。

一歩踏み出せるのです。

このように大切な人を亡くした方にとって、深い悲しみを乗り越えるためにも「人法一箇」という教学は必要だと思っています。

池田先生が「生命は永遠」と指導され、それを胸に多くの方々が悲しみを乗り越えてきたのに、日蓮大聖人の生命がご本尊である「人法一箇」を、創価学会から「亡くす」のは過ちだと思います。

今一度、池田先生の指導に帰っていただきたい。
確認していただきたい。

図斎修氏(創大四期生)による論考は、本当の池田先生の指導を取り戻すきっかけになると思います。

図斎様、素晴らしい論考をありがとうございます。

【池田先生のご生誕日に思う-「教学要綱」への疑問】
https://jikatsu.net/wp-content/uploads/2025/01/edb8e2dd0fdaf04dfa9ae182bd0cf4c9.pdf

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