【投書】日本の右傾化:いま私たちが考えるべきこと

JIKATSU投書アイキャッチ

投書者:カナリア

9月27日に行われた自民党総裁選の決選投票で投じられた議員票は、石破茂189票、高市早苗173票だった。その比率は議員票の52%対48%となる。
そこには、様々な思惑や権力闘争があったとはいえ、高市早苗のような似非保守右翼女にかくも多くの議員票が投じられたことに、私は、空恐ろしさを感じざるをえない。

そこで、かつて読んだ「徹底検証 日本の右傾化(塚田穂高著 筑摩書房)」を、読み返してみた。この本の執筆者は21名に及ぶ。あとがきに、著者が以下のように書いている。

『「日本会議や改憲潮流、日本の右傾化について一冊書いて下さい」―「私には、無理です」
とても一宗教社会学徒の手に負えるものではない、と正直に思った。自分一人で無理ならば、人に聴けばよい。このテーマだったら、信頼できるプロパーであるあの人に論じてもらおう。そうして構想されていったのが本書なのである・・。』

この書の中に、「創価学会・公明党の自民党「内棲」化」という、藤田庄市氏による、興味深い章があるので、少々引用してみる。

*端的に言えば、政策よりも「票のバーター」という桁外れの選挙協力。それが、1999年以来の自公連立を維持せしめている絆である。

*創価学会・公明党サイドから、この時の実情を説明したものはない。しかし野中(自民党幹事長代理)が貴重な歴史的証言をしている。

―党ではなくて、信濃町の(創価学会)本部とやられていたんですね。

野中―ええ。

―選挙を実際にやっていたのは、公明党ではなくて創価学会という組織だったんですね。

野中―そうそう。その中に選挙の地区を担当している人がおりましたからね。

選挙を実際に行っているのは創価学会であって公明党ではない。これが自公連立政権や創価学会・公明党を見る際の根本となる視点なのである。

野中―結局、「小選挙区で自民党を応援して、比例区ではぜひとも公明党に票を入れてくれ」という話が基本です。(中略)野中の凄みは、党本部同士の協定とその指示という並みのやり方にとどまらず、選挙協力の永続的な体制を構築したところにあった。

九条の解釈改憲議論中の「恫喝」

*右派政権との連立が続くなかで、公明党が自民党から決定的な立場の変更を迫られ、了承したのが2014年7月1日の閣議決定における憲法九条の解釈改憲による集団的自衛権の限定容認であった。ことは自衛隊の海外での武力行使容認につながるものであり、「平和の党」を標榜する公明党は、同問題の公式な与党協議会が開始された5月20日までは反対の姿勢を示していた。

*まさにそのタイミングに合わせて、飯島勲内閣官房参与が10日にワシントンで行った講演が報道された。彼はこう語った。「集団的自衛権が話題になっている。公明党のホームぺ-ジに公明党と創価学会の関係が載っている。長い間、「政教一致」と騒がれてきた。内閣法制局の発言を担保に、その積み重ねで「政教分離」ということに現在なっている。公明党・創価学会の幹部の心理を推測すると、そのことを一番気にしているのではないか」

そして核心に入る。
「もし内閣によって内閣法制局の発言、答弁が今まで積み重ねてきた事案を一気に変えることになった場合、「政教一致」が出てきてもおかしくない。単なる安全保障問題とは限らず、そういう弊害が出て、おたおたする可能性もあり得る。そういう事がない状態で着地点を見出せば、きちんと収まるだろう」

新進党時代の強烈な創価学会攻撃の悪夢を思い起こさせる、ほれぼれとするほど見事な「恫喝」である。(中略)7月1日に解釈改憲は閣議決定され、翌2日に創価学会もその決定を追認した。

*「創価学会・公明党の政治的理念や政策は自民党の理念・政策によって大きく制約されており、もし創価学会・公明党がその枠を破ってまで理念・政策を模索するとすれば、自民党との間に深刻な葛藤を生み、連立は崩壊し、創価学会・公明党は権力の枠外に出ざるを得ない。議席も減少し、権力から攻撃されることは当然あり得る」

*新しい兆しとは、質的変化を遂げた創価学会・公明党の右傾化を意味する。

*同時に、「池田先生の平和・人権思想」が、創価学会827万世帯の信者一人一人に内面化されていなかったことも証明されたのではないだろうか。

以上引用。

来たる10月27日に行われる予定の衆院選。自民党は揺れに揺れている。池田先生はご生前、かねてより日本の右傾化を憂慮されていた。国家主義は一つの宗教である。戦前、政党政治が見限られ、日本は無謀な戦争に向かってしまった。間違った思想・宗教は民を不幸に導く。今こそ、正しい日蓮仏法・本来あるべき池田先生の平和思想を、社会に宣揚すべき時ではなかろうか。

【投書】日本の右傾化:いま私たちが考えるべきこと” に対して1件のコメントがあります。

  1. いっこく堂 より:

     内面化されていなかったのは先生の思想ばかりでは無い。信仰の骨である教義さえも内面化されていなかった。
     しかもそれが末端の一会員だけでなく、上層幹部にもだ。
     あの「要綱」を平然と受け入れる人々は、いったい今までどんな信仰をしてきたのだろうか。
     もしその程度の信仰だったとすれば、悲しいかな創価学会の現状は「成るべくして成った」と言う他はない。

    1. モッコス より:

      「いっこく堂」様のおっしゃる通りだと思います。

      池田先生は、戸田先生が示された創価学会の発迹顕本について次のように言われています:

      【引用始め】
       戸田先生は言われた。
       「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である」(『戸田城聖全集』3)──この確信が、「学会の中心思想」である、と。
       皆が、日蓮大聖人直結の仏子であるとの自覚に立つことが、創価学会の発迹顕本です。
      (中略)
      私たちは皆、御本仏の仏子です。 使命のない人はいません。 本地を もたない学会員はいません。
      (中略)
      本地とは、″本当の自分自身″ です。
      自らの本来の使命を自覚した人は、仏の命が力強く涌現し、どんな人生も悠々と勝ち切っていける。
      (中略)
      もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。 それが私たちの「発迹顕本」である、と戸田先生は言われていました。 行き詰まりとの闘争が信心です。 魔と仏との闘争が信心です。 仏法は勝負です。
      (中略)
      「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と。
      「時時に顕本」です。 唱題し、広宣流布に連なる活動に励む時、わが身に自受用身──本来の自分が顕われて、智慧が働き、勇気がわき、行き詰まることなく自由自在に自らの境涯を楽しめるのです。 それが私たちの「発迹顕本」です。
        (方便品・寿量品講義 「一切世間。天人及。」・池田大作全集第35巻)
      【引用終り】

      戸田先生は、ここで、学会員の自覚について:
      ・「外用(げゆう)の姿においては、我々は地湧の菩薩である」

      ・「その信心においては日蓮大聖人の末弟子である。」
      との違いを明確に示されています。
      即ち、戸田先生が示されているように、
      種脱相対などの根本の教義は、本来は、単に教学知識にとどまらず 信仰者の自覚のあり方と一体・不可分である ということになります。
      (もちろん、池田先生は場合に応じて「地湧の菩薩」を中心に語ってもおられますが…)

       須田晴夫氏は『創価学会教学要綱の考察』(155~156頁)で、『教学要綱』が 、アカデミズムに対するコンプレックスから(ほとんどが身延派など諸宗派の僧侶の研究者である)今の日蓮学の意向に忖度し 「学術界から評価されることを意識している」と指摘しています。
      宮田幸一氏や アカデミズムなどの世間的権威に めっぽう弱い原田会長らは、戸田先生が示された「学会の中心思想」である「創価学会の発迹顕本」など 屁とも思わなかったのでしょう。

  2. カナリア より:

    仰せの通りと思います。残念ながら今までの創価学会は一旦終了とならざるを得ません。
    その後の展開をいろいろ考えいます。

  3. モッコス より:

    カナリア様、

    引用されている 『徹底検証 日本の右傾化』 (塚田穂高著 筑摩書房) の中には、興味深いもの、共感できるものが見られますね。

    仰せの通り 「池田先生はご生前、かねてより日本の右傾化を憂慮されていた」 わけです。
    補足の意味で、国家主義についての池田先生の主な発言を引用しておきます:
    【以下、全て引用】

    ● 一般的にいって、戦争とは国家が犯す最も非道な犯罪行為であるといってよいのです。
    しかるに、こうした犯罪行為がなぜ許され、むしろその多くは、人々の熱狂的な支持すら得てきたか。
    それは “最も尊厳なるものは国家である” との、誤れる神話が人々の思考を支配してきたからであります。
    そして、一切の物質的富も、人間の生命も、文明の所産も、この “国家の尊厳” の横暴の前には、犠牲になってあたりまえである、と考えられてきたのであります。(中略)
    国家の尊厳という誤れる神話を打ち破り、生命尊厳の理念が、現実に支配する世界を実現することこそ、仏法者のなさなければならない使命であると同時に、私どもがその先駆をきらねばならないと訴えておきたいのであります。
    (第35回、37回本部総会講演より 池田大作・『ヒューマニティーの世紀へ』読売新聞社・p.25 – 26)

    ● 私どもが半世紀以上にわたって核兵器の問題に取り組んできたのは、核兵器(中略)の禁止と廃絶を実現させる中で、“国家として必要ならば、大多数の人命や地球の生態系を犠牲にすることも厭わない” との非道な思想の根を絶つことにあります。
    (38回「SGIの日」記念提言・2013年)

    ● 日本は狂気の国家主義によって、戦争を始めた。
    国民の自由はなくなり、学会にも弾圧の魔の手が強まってきた。 (中略)
    今また、日本は国家主義の道を歩もうとしている。 私は、その傾斜を深く憂慮している。
    (第十三回本部幹部会・平成9年7月9日)

    ● (対話者): 牧口先生、戸田先生は、軍国主義の時代に、絶対に「付和雷同」しなかった。自分が「正しい」と信じる平和と自由の道を進むよう、敢然と主張し、権力と戦われました。 すごい勇気です。
    名誉会長: しかし、その当時は「非国民」と罵られ、牢獄でいじめられ、戦争に反対なので「臆病者」と軽蔑された。 狂った時代です。 今の日本も、そういう狂いの方向に向かっていることを私は心配するのです。 
    (『青春対話・普及版2』・p.130~131)

    ● 今、再び国家主義、権力主義が強まっていると多くの人が警告している。 半世紀前の大悲劇を皆が忘れかけている。 だから平和を叫びきっている創価学会が大事なのです。
    (『青春対話・普及版Ⅰ』p.386)

    ● 若い諸君には、過去の戦争への責任はない。
    しかし、未来への責任はある。 現在への責任もある。
    平和を壊す危険を動きを認めてしまえば、その責任はある。
    (『青春対話・普及版2』 p.283)

    ● 戦後世代には、あの戦争を起こした責任はない。
    しかし、現在、起こっている、戦争につながる国粋的な動きや偏狭な思想には反対する責任がある。
    反対せず、行動せず、沈黙する事は、消極的な支持である。
    (『君が世界を変えていく』 朝日出版社 p.200~202)

    ● 歴史は繰り返す。 今また日本は国家主義の危険な方向に向かいつつある。 だからこそ、平和主義、国際主義の私と創価学会を迫害するのである。
    戦いましょう! 「断じて悲劇を繰り返さない」ために。悠々と楽しく戦いましょう!
    (第11回本部幹部会等_池田大作全集 第88巻・p.40~41)

    ● 日本も同じです。 人権感覚がますます狂ってきている。 民衆を国家の犠牲にして恥じない国家主義が強まっている。 危険です。 だから我々が立ち上がる以外にない。
    (『法華経の智慧』第6巻 p.165)

    ● 名誉会長: だから「信念をもった個人」をつくる必要があるのです。国家主義の危険が高いからこそ、今、戦わなければならない。
    斉藤: 創価学会が、そういう「人権の防波堤」になっているがゆえに、国家主義的勢力から攻撃されています。
    名誉会長: 敢然と「獅子王の心」「獅子奮迅」の力を出すための法華経です。 「師子奮迅之力」(涌出品、法華経) を出すのが地涌の菩薩であり、仏です。 邪悪に対しては、それこそ阿修羅のように戦わなければならない。 仏法は勝負であり、勝つ以外にない。
    (『法華経の智慧』第4巻 p.173)

    ● 国家主義という転倒の思想によって、何百万、何千万という尊き、かけがえのない命が散らされた。
    その暴虐を「やめろ!」と叫んだのが牧口先生、戸田先生です。
    それは最高の愛国者の行動であった。
    そして「人間宗」というべき法華経への殉教であった。
    国家のためではなく、人間のために命を捨てたのです。
    この歴史を、両眼をしっかと開いて見つめなければならない。
    そして今こそ、新たな国家主義、権力主義の動きに対して、立ち上がるべきです。
    (『法華経の智慧』第5巻 p.150~151)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA