【投書】公明党:解党という選択肢

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投書者:カナリア

1964年に結党された公明党。60星霜の時が流れ、立党の精神は失われ、その存在意義に疑問符が付き始めている。日本政界に於ける役目は終わり、今後「解党」の選択肢が浮上してくるのではないか。

財界中心の自民党と、大企業労働組合を土台とする社会党のなれ合いで成り立った55年体制。政治の光が当たらない「庶民」を基盤に、「福祉」と「平和」を掲げて立ち上がった公明党。長く応援してきた私も一定の評価は是非ともしたい。だが特に、政権与党に加わった1999年以降、自らの理念・哲学を形骸化させていく道程は、まさに「ミイラ取りがミイラになっていく姿」を衆目に晒すものだった。
宗教政党としての歴史的な実験は、残念ながら失敗だったと総括せざるを得まい。

そして今後どこかのタイミングで、支援団体たる創価学会がいかなる政党支援もしない方針を決めるだろう。何故かならば、「政党支持は自由」が本来あるべき姿であり、そうしなければ宗教団体としての存在そのものが成り立たなくなるであろうから・・。

現在いる公明党の議員諸氏については、無所属でもいい、自民党や立憲民主党、れいわに行くのも良し。自分自身の政治信条に基づいて進めばいいのではないか。これは奇しくも1955年、二代会長戸田先生の時に、初めて学会員を政界に送り出した時と同じかたちだ。(戸田先生は、議員たちがどこの政党に属するのも自由であるという立場だった)

それぞれの議員は、人望と実力が認められれば再選されるに違いない。学会員諸氏が当該議員の実績等を認めるなら、個々に応援することは勿論自由である。原点に還って、地方議員は数千軒、国会議員は数万軒の戸別訪問等、地道な活動を持続すればきっと認めてもらえる。一方、その意志と実践がない者は、政界から去る方が、世のためだと思う。

支援団体現執行部は狂ってしまった。権力に迎合し、悪しき自民党に追随することのどこが、「立正安国」になるのか?専守防衛の平和憲法をなし崩しにし、武器の輸出まで認める公明党議員が議席を獲得することのどこが「先生への報恩感謝」になるのか。ふざけるのもいい加減にして欲しい。

日本を除くSGIの191か国に、支援政党はない。今後の世界広宣流布を考える時、「宗教政党」を持つ必要はないのである。創価学会創立100周年を目前に、歴史的役割を終えた「公明党の解党」は、大きな選択肢になるべきではないだろうか。

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