【投書】原田執行部による「創価学会仏」の強調と学会組織の「僧宝」化に思うこと

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投書者:SHG

一般に、宗教団体の「求心力」、すなわち 組織のまとまり、信者を組織に繋ぎ止めている大きな要因として、その宗教の指導者に対する信者の信頼がある。 

創価学会の場合は、牧口・戸田・池田の三代会長に対する会員の信頼が、学会組織の大きな求心力となってきた。 だから、会合で幹部たちは「先生にお応えしよう!」と連呼して会員の奮起を促してきた。

小説『新・人間革命』で、池田名誉会長(以下「池田先生」と記す)は、創価学会の組織のリーダーのあり方について(「山本伸一」の言葉として)次のように述べられている。

【引用】
『山本伸一は、皆の質問に答えて、組織としての運動の進め方などについて述べたあと、最後に、魂を打ち込むように訴えた。
 「組織といっても、人間関係です。あなたたちが、自分の組織で、一人ひとりと、つながっていくんです。 単に組織のリーダーと部員というだけの関係では弱い。 周りの人たちが、姉のように慕ってくるようになってこそ、本当の人間組織です。 組織を強くするということは、一人ひとりとの、信頼の絆をつくっていく戦いです。
あなたたちが皆から、″あの人に励まされ、私は困難を克服した″″あの人に勇気をもらった″と言われる存在になることです。
 私も、そうしてきました。 全学会員とつながるために、常に必死に努力しています。
なんらかのかたちで、激励する同志は、毎日、何百人、何千人です。
この絆があるから、学会は強いんです。
その人間と人間の結合がなくなれば、烏合の衆になる。 学会は、滅びていきます。
この点だけは、絶対に忘れないでほしい」』(『新・人間革命』第22巻「波濤」)

池田先生は、「なんらかのかたちで、激励する同志は、毎日、何百人、何千人です」 と。

池田先生は たびたび、創価学会の組織は 「ピラミッド」型ではなく 「同心円」型であることを教えられている。

【引用】 
『学会の組織は「上下」の関係ではない。リーダーは、レコードのような同心円の「中心者」であり、「責任者」なのです。』(『青春対話』「創価学会の組織とは」池田大作全集第64巻)

【引用】
『広布の組織は、いわゆるピラミッドではありません。 師匠を中心として広がる”同心円”の連帯と言えるでしょう。 御本尊の前には皆、平等です。 役職の上下は役割の違いにすぎません。』(『御書と師弟』「地涌の団結」 2009年5月20日) 

【引用】
『学会の組織は、いわゆるピラミッドではない。 全員が「妙法」の前に平等である。 そのうえで、あえてたとえれば、かねてより申し上げているとおり、中心者を囲む″同心円″といえよう。』(練馬、豊島区代表者会議 1989年12月28日 池田大作全集第73巻) 

創価学会が本来、ピラミッド型の上意下達の組織ではなく、指導者・師匠を中心とする同心円型の組織であるからこそ、池田先生は「全学会員とつながるために、常に必死に努力」されてきた。

実際、筆者とその周辺にも、池田先生から直接激励を受けて「池田先生に励まされ、私は困難を克服した」、「池田先生に勇気をもらった」と立ち上がった学会員はいくらでもいる。

創価学会の団結の源である池田先生の求心力、すなわち池田先生に対する会員の信頼は、「毎日、何百人、何千人」もの同志を激励してきた先生の「全学会員とつながるために、常に必死に努力して」きた実践の賜物である。

 そうした信者からの信頼を得る指導者が亡くなった場合、同じように信頼される後継者がいなければ、その宗教組織は やがて瓦解していくだろう。
上の引用で「その人間と人間の結合がなくなれば、烏合の衆になる。学会は、滅びていきます」と言われている通りである。

■ 原田会長には、池田先生のように 「全学会員とつながるために、常に必死に努力して」きた努力・実践など ほぼ皆無だろう。

筆者は50年以上 信心してきたが、「原田会長から直接激励を受けて私は困難を克服した」とか「原田会長に勇気をもらった」などと言う学会員を見たことも聞いたこともない。彼の求心力=会員の信頼は限りなくゼロに等しいと思う。

 原田会長は、座談会に出席する時でも、現場の学会員がお膳立てしてくれた会合に顔を出すだけである。 実質的な広宣流布を拡大する戦いなどやっていない。 池田先生のような大誠実、慈愛がなく 人を惹きつける力もないので、外部に味方を作っていく開拓作業はできない。ただ、これまで池田先生と健気な学会員が切り開いてきた道、遺産の上に乗っかって外部とのやりとりをやっているだけである。
原田氏は「会長」という組織の形式的立場にしがみつくしかない。

■ 池田先生亡き後、会員から信頼される指導者がいない以上、学会組織は求心力を失い、いずれ瓦解していかざるを得ないだろう。

組織から離脱する者が増えれば、学会員の金銭支出・御供養に寄生している原田会長ら学会本部職員は収入源を失っていくことになる。
また、公明党の票を集めてくれる会員が減れば、自民党など権力に「学会組織の集票力」をアピールすることができなくなってしまう。

 そこで、原田会長ら組織の中枢・執行部は、会員を組織に繋ぎとめるために 組織自体に求心力を持たせようとした。 その一環が、改変会則での「創価学会仏」の強調であり、『教学要綱』で学会組織を「僧宝」と位置づけることであったと考えられる。

それによって「創価学会仏」であり「僧宝」である創価学会組織を維持することを、会員の活動の目的とすることができる。 組織の維持自体が学会活動の目的となり、会員の活動は組織の維持のための手段となる。

その場合の維持されるべき「組織」、原田執行部の念頭にある「組織」とは、池田先生が言われた同心円型の組織ではなく、会長を頂点とするピラミッド型の上意下達の組織、官僚型組織だろう。

■ 池田先生は、本来 会員の幸福のための手段である組織が自己目的化して、逆に会員を手段とするようになる「組織悪」の危険性を幾度となく指摘してこられた。

【引用】
『組織と人間ということについてふれれば、わが学会の尊い和合の組織が、広布の生命線であることには永久に変わりはありません。
しかし、大切なのは人間であり、一人ひとりの民衆の幸福のために、手段として組織があることも銘記していただきたい。
 また組織は、一人ひとりの人間から出発したところにあるのであり、いわば、その結果でもあります。 すなわち、一人ひとりの強盛な信心、同志の連帯が、尊い組織を生み出していったのであります。
 もしかりに、組織に、こうした美しい人間関係が失われたならば、組織悪になってしまうおそれがある。』(創立48周年記念 第23回本部幹部会 1978年11月18日「広布第二章の指針」第14巻)

【引用】
『もとより、学会の組織は、広宣流布のためにある。とともに、それは「会員」のためにある。 幹部も「会員の幸福」のために存在する。一切が「一人」の幸福のための手段であるといってよい。
(中略)
歴代会長の″魂″である「会員中心」の指導をば失わない限り、創価学会は永遠に発展できると強く主張しておきたい。
反対に、この一点を失った場合には、組織は衰退し、滅んでいくにちがいない。
これは永遠の鉄則であり、私は正法外護の責任者として、後世のために言い残しておきたい。
 会員同志を大切にする組織はあたたかい。
(中略)
反対に、歴代会長の心を忘れ、形のみの存在となれば、組織は冷たくなってしまう。
そこには悪しき″権威″がまかり通るようになる。
 広布の伸展にともない、組織が大きくなっていく。
問題は、組織の発展・規模に、人間の成長が追いついていくかどうかである。
もし、それができなければ、組織を″幸福のための手段″として使いこなすことができなくなる。
そして逆に、組織の歯車として人間が使われていくような、会員を手段化してよしとする″組織悪″におちいってしまうであろう。
 要するに「人間」と、官僚的命令系統で組織を動かそうとする「組織力学」との競争であり、「心」と「形」との競争であるともいえよう。』(牙城会大学校五期生大会 1990年8月2日 池田大作全集74巻)

【引用】
『学会も、根底は友情である。同志愛である。異体同心の信心の団結である。
それがあって、組織の機構がある。 それを反対にしてはいけない。
 組織は、友情を、同志愛を、そして信心を深めるための手段である。
それをあべこべにしたら大変である。
組織を目的にした場合には、権威主義の組織悪になってしまう。』(第6回本部幹部会 1996年12月16日 池田大作全集87巻))

【引用】 
『(対談者):「組織に入ると自由がなくなる。自分を見失う」という意見もありますが、学会の組織は、そうではないですね。

池田:世の中には、そういう組織があることも事実だ。 人間を手段にしてしまう。 組織悪です。
(中略)
「組織」といっても、一対一の絆の集まりなのです。
だからこそ、学会は、「一人の人」を徹底して大切にしてきた。
これを忘れると、組織も人間を束縛するものになってしまう。』(『青春対話』「創価学会の組織とは」池田大作全集64巻)

【引用】
『その一人ひとりを見失い、人間を「数」としか考えなかったり、「役職」や「立場」で人を見る時、社会の多くの組織がそうであるように、学会もまた、冷酷な官僚主義に陥ってしまうことになる。
 そして、「師子身中の虫の師子を食」との御聖訓のごとく、内部から、しかも、中枢から、学会を滅ぼしていくことになろう。
 では、組織が官僚主義化していってしまう根本原因は、どこにあるのか。
 ―― それは、幹部が、広宣流布と仏子である会員への「献身」という、本来の組織の目的を忘れて、「保身」に陥ってしまうことにある。
つまり、幹部の、「広布中心」から「自分中心」への、一念の揺らぎである。』(『新・人間革命』第10巻「桂冠」)

【引用】
『広宣流布という目的を見失い、″自分″が中心になれば、名聞名利に流され、尊い仏子である会員を、自分のために利用するようになってしまう。
そうなれば、獅子身中の虫であり、内部から、学会を破壊することになる。
それほど、最高幹部の存在、職員の存在は、大きな影響力をもつものだ。』(『新・人間革命』第7巻「早春」)

こうした池田先生の指導に反して、現在の学会本部は、「会員は 財務に励み、本部の打ち出しに従って 票を稼いでくればいい」とばかりに、学会員を「カネ集め」と「票集め」の手段にしているようである。

学会員の献身を利用して票を稼がせ、「創価学会の集票力」をアピールしながら 自民党など権力に票を貢いで自分達の生き残りをはかっているように見える。

■ 原田会長らごく一部の人間が独断でやらかした会則改定と会憲策定において、会長は少なくとも以下の権限を掌握することとなった。

 ・ 教義および化儀の裁定権(会則11条)
 ・ 御本尊に関する事項の支配権(会則12条1項)
 ・ 理事長、主任副会長、副会長等の任免権(会則12条3項)

このように会長の権限は、ほとんど教祖レベル、独裁者レベルにまで強化された。
このことは また、原田会長らが創価学会の組織をどう見ているかを示している。

それは、サラリーマン組織、官僚型組織である創価学会本部の組織を 創価学会全体に拡大したイメージだろう。

一般的に言って サラリーマンや官僚は、ボス(=社長など上層部)に逆らえば“窓際”部署に飛ばされるか クビになるしかない。
創価学会員の金銭支出・「御供養」に寄生している創価学会本部職員や聖教職員(更には公明党、潮出版社、第三文明者、創価学園・大学、民音、などの職員)は所詮サラリーマンであり、ボスである会長に逆らえばクビになり路頭に迷うことになるから、会長には逆らえない。

池田先生の宗門僧侶についての次の指摘。

【引用】
『もしも僧侶が、妻子に引っ張られ、自分の生活の糧を考えて、極悪の法主にも何も言えない ―― それでは、僧侶として何の意味もない。 「衣食の獄」につながれた奴隷です。』(『創価のルネッサンス 31』「青年とのつれづれの語らい」 67~68頁)

上の発言の、「法主」を「会長」に、「僧侶」を「本部職員」に置き換えれば、そのまま現在の創価学会本部職員に当てはまる。

「もしも本部職員が、妻子に引っ張られ、自分の生活の糧を考えて、極悪の会長にも何も言えない ―― それでは、本部職員として何の意味もない。 “衣食の獄”につながれた奴隷です。」

 第六天の魔王(権力の魔性)からすれば、トップの会長さえ陥してしまえば(=「入其身」してしまえば)、「衣食の獄」につながれた奴隷の集団、即ちサラリーマン組織である学会本部は陥せることになる。
4代目以降、特に5代・秋谷会長と6代・原田会長に「入其身」することは容易だったようである。

■ また、会則の改変で、教義や本尊など 会の根幹となる超重要事項が、原田会長はじめ ごく一部の人間の独断で決定された。

宗門問題の時、宗門による宗規改変について「魔僧は横(よこしま)に法制を作る」と言われていた。

【引用】
『また大聖人は、こうした魔僧の特徴として、「勝手に『教団の規則』等を変える」ことを挙げられている。
 すなわち仁王経を引かれて、「諸の悪比丘 横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず」──(未来の世において、権力者らとともに)悪い僧侶たちが、勝手に自分たちに都合のよい)法制(教団では宗制や宗規など)をつくって、仏の戒めによらない──と。
 本来、「仏」の金言、御遺誡にこそ従うべきであるのに、それでは自分たちの思い通りにならないので、勝手に規則や制度を改悪して、それに従えと命じてくる。
そういう邪悪の僧が出るとの経文である。 まさに今の通りである。』(各部代表幹部会・第三回長野県総会 1992年8月8日 池田大作全集第81巻) 

あたかも 「諸の悪比丘 横(よこしま)に法制を作」(災難対治抄)るが如く、原田会長は 会長という立場を利用して、「勝手に規則や制度を改悪して」会則を改変し 会憲を策定して「それに従えと命じてくる」――「いやなら学会を辞めてもらって構わない」とばかりに。
こうした行き方は、日顕一派を彷彿とさせる。

【引用】
『仏教の「サンガ(教団)」は、当時の階級制を打ち破った平等と協議の精神に貫かれていた。
この「サンガ」の運営は、ひと握りの人間の独裁ではなかった。
皆が出席する会議で、協議によって進められたのである。
この一点からして、法主への服従を強いる日顕宗が、仏教の精神にまっこうから違背していることは明らかである。』(各部代表者会議 2005年1月28日 池田大作全集第97巻)

会則の変更も会憲の制定も、原田会長ら執行部の「ひと握りの人間の独裁」によって決められている。 一般の会員の納得など全く考慮されずに。
自分たち「ひと握りの人間」の決定を、勝手に創価学会全体の決定として全学会員に強要する ―― この一点からして、原田会長ら執行部が、「平等と協議の精神に貫かれていた」「サンガ」の本義、「仏教の精神にまっこうから違背していることは明らか」である。

■ 原田執行部は、「創価学会仏」を強調することで 学会組織に対する批判を「創価学会仏への反逆」と見なすようになるだろうし、組織自体を「僧宝」とすることで、教義的に、組織離脱を「退転」と見なすことができるようになるだろう。

また、次の御文。

【引用】
『凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり 是れ涅槃経の文なり』(真言見聞142ページ)

を利用しつつ、原田会長ら執行部は、「僧宝」である創価学会への批判は「謗僧」に当たり「謗法」となる、などと言い出しかねない。

それは所詮、(信頼・尊敬にもとづく内発的な求心力によってではなく)外発的に、いわば “脅し” によって会員を組織に繋ぎ止め、組織の求心力を維持しようとすることである。

そこには、自分達の収入源を確保し、「票」を権力に貢ぐための集票力を維持ようとする供養寄生者たちの保身が看て取れる。
すなわち「創価学会仏」の強調と学会組織の「僧宝」化は、(かつての宗門僧侶と同じく)学会員の御供養に寄生して あぐらをかいてきた 求心力無き原田執行部ら供養寄生者たちの保身の産物だと考えられる。

そして彼らは、学会本部のみならず、創価学会全体を 会長を頂点とする上意下達の官僚組織、サラリーマン組織のように変質させようとしている。
それこそが第六天の魔王(権力の魔性)の望む所だろう。

いずれにせよ、現在の学会本部執行部の師敵対によって、所詮「衣食の獄」につながれたサラリーマンは天魔には勝てない、ということが実証されてしまったようである。

このことは改めて、日蓮仏法に於ける(創価学会本部職員などの)職業的宗教者のあり方を考え直す必要性を我々につきつけている。

【投書】原田執行部による「創価学会仏」の強調と学会組織の「僧宝」化に思うこと” に対して1件のコメントがあります。

  1. 久保田哲 より:

    社会の組織は未だに古いピラミッド型のトップダウンの組織が多いですね!私の会社もそうです。しかし指導的立場の地位にあるものは池田先生の言われて来た血の通った温かい組織にしていけば自分の立場も維持出来る方になるのに実際にはそうはしない。原田会長も池田先生のそばに居たのだからその姿勢を学んでくればこんな組織にはならなかったのでは?役不足でした。せめて少しでも真似すればよかったのに💢

    1. SHG より:

      コメント、有難うございます。
      「東大出身の誇り」高き原田会長はともかく ww
      「一切が “一人” の幸福のための手段である」という「歴代会長の心」(上掲・牙城会大学校五期生大会)はまた、「一人を大切に」という自活グループのモットーでもあります。
      その「一人を大切に」という三代会長の心が、会社や近隣など社会に浸透していくことが、広宣流布・立正安国・王仏冥合の一つの姿なんでしょうね。

  2. 匿名希望 より:

    SHGさん、ありがとうございます。今起こっている事の本質が、高感度カメラで写したように鮮明に映し出されました。スッキリしました。
     自活グループが、かつての創価学会を彷彿とさせる素晴らしい座談会や教学学習などの諸活動を展開しながら、敢えて組織化しない理由が分かった気がします。多くの人が集まっても、目的である「一人」を絶対に手段にしない、また、手段である「グループ」を目的にしない、その事を実践で再確認するためだったんですね!役職も義務も指示も無い中で、皆がどれだけ力を出すことが出来るか、原田学会が池田学会から奪ったものを取り戻す闘いなんですね!
    「自活」、私も頑張りたいです。

    1. SHG より:

      コメント、有難うございます。
      過分な御言葉、恐縮です。
      運営の方々が、お忙しい中、自活のメンバー 一人一人の励ましになるようにと、毎回工夫をこらされているのには本当に頭が下がります。
      「役職も義務も指示も無い中で」 「どれだけ力を出すことが出来るか」、私も「自活」、頑張ります。

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