【投書】信じることの凄さと怖さ

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投書者:カナリア

人間は意識する、しないに関わらず、何かを信じなければ行動出来ない。

朝起きて顔を洗う。水道水には毒物など含まれていないと信じて。
朝ご飯を食べる。まさか長年連れ添った妻が、毒を混入することはないと信じて。
東京行きの電車に乗って職場に向かう。目的地以外には向かわないだろうと信じて。
長年の経験や学習によって得た、無意識の判断・信じる事。これなくしては一歩も動けないし、息も出来ない。

つい最近、小林製薬のサプリメントを摂取し、大勢の人が亡くなった。健康に良かれと思って「間違ったもの」を信じたことが、結果的に災いとなってしまった。間違ったことを見抜くのは難しい

日蓮は、人間の不幸の原因は、間違った宗教を信じることにあると断じた。
宗教の「宗」の字は「根本」を意味する。人生を歩むにあたって、生命の法理に合致しない、間違った「教え」に従って生きた場合、何らかの反価値の結果を招く。原因と結果、因果律は厳しい。これら個人・社会に現れる現象を、仏法的には「罰」と位置付けることがある。

創価学会初代会長牧口先生は、国家同士の競争は、

1.軍事的競争 ⇒2.政治的競争 ⇒3.経済的競争 ⇒4.人道的競争へと進むと予見された。

今、自公政権によって、「専守防衛からの逸脱」「他国への先制攻撃受容」「憲法九条の改正」が進められている。上記4の人道的競争に移行するのではなく、軍事的競争へ逆走し、戦争の準備をしている。今こそ、「人間主義」に基づいた、必死の外交努力が必要なのにもかかわらず・・。

創価学会第二代会長戸田先生は、「地球民族主義」を唱えられ、同じ地球に住む人間同士が殺し合う「不条理」と戦うことに、生涯を懸けられた。

そして創価学会第三代会長池田先生は、国家の安全保障における「抑止論」の愚かさと限界を指摘され、「平和憲法の精神、9条だけは変えてはいけない」と遺訓された。

池田先生の作られた「公明党」だから支援すると言う学会員さんが多いが、それは間違いである。三代会長の精神・ご指導に背く「公明党」は諫めるべき存在なのである。

原田会長をはじめとする学会執行部が間違った判断をするはずがない・・。そう思いたい気持ちはわかる。しかし34年前、日蓮正宗67世の日顕氏が、男の真っ黒な嫉妬から、池田先生に牙を向けた事を忘れてはならない。第六天の魔王は、広宣流布を阻むため、一番影響力がある存在に「悪鬼入其身」するのである。

公明党が間違った道を選ぶなら、支援団体はそれを止めなければならない。そうしない現実は、原田執行部が現状を認めている事を示している。さらに言えば、支援団体が権力からの迫害を恐れているから、公明党は権力に迎合しているのだろう。

自分が信じているものに対する、不断の検証。そして、師の教え通り、権力悪に不感症であってはならない。

【投書】信じることの凄さと怖さ” に対して1件のコメントがあります。

  1. いっこく堂 より:

    いつもご投稿を楽しみにしております。
    誰もが納得せざるを得ない見事なご主張だと感銘しております。
    「不断の検証」によってこそ「悪鬼入其身」を阻止することが出来る。至言です。

    1. カナリア より:

      ありがとうございます。励みになります。
      一人でも多くの学会員さんが、目覚めてくれることを祈るばかりです・・。

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