投書者:カナリア
「福田村事件」関東大震災・知られざる悲劇 辻野弥生著 五月書房:を半年近くかけて読了した。重く、厳しい内容に、思わ
ず時間がかかってしまった・・。
昨年2023年は関東大震災から100年の節目の年であり、「福田村事件」をモチーフにした映画も作成され、反響を呼んだようである。「福田村事件」とは、大震災時のパニック状態の中で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火を付けている」などの流言蜚語が広まった。これを信じた自警団(村人達)によって、四国の香川から薬の行商で(現在の千葉県近郊に)来ていた、15名の日本人中9名が、朝鮮人と間違われて惨殺された事件である。
「朝鮮人なら殺してええんか?」これは映画の中に出てくる、象徴的なセリフである。公になっているだけでも6,000人もの朝鮮人が、いわれなきデマをもとに虐殺されたという歴史の事実。しかし、数々の証言があるにもかかわらず、日本政府はきちっとした調査も謝罪もしていない。それどころか、小池東京都知事や山本群馬県知事などは、都合の悪い歴史の真実に向き合おうとせず、なかったことにしたいかのように振舞っている。
震災直後の9月3日、内務省は各地の地方長官に、以下のようなデマを打電していた。
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を
遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて
放火するものもあり、既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが
故に、各地に於いて十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対して
は厳密なる取締を加えられたし。」
内務省警保局長の名で、全国に打電したのは、船橋海軍無線送信所だった。
これによって、朝鮮人暴動説は俄然、真実性を帯び、様々な尾ひれ
を付けながら、瞬く間に全国にひろがった。震災直後の恐怖の真只
中とはいえ、無実の人々を殺めてしまった群集心理の底流にあった
もの、それは抜き差しならぬ「差別」だったのではないか・。
一方こうした大混乱の中にあっても、己の身を挺して無実の朝鮮人を救った巡査や刑事など、心ある人たちが存在した事は一縷の救いだった。
とある28歳の篠田巡査の村には、56名の朝鮮人が居住していた。村民たちは「安全が保証できないから、全て殺害する」と結論をだしてしまい殺害準備に着手するなかで、彼は警察の使命と人道主義の立場から、敢然とこれを阻止しなければならないと決意。
「殺害はいつでもできる。あと二時間だけ待ってもらいたい。もし
待てないというのなら、この私を殺してからにしてくれ。軽挙妄動
してはいけない」と、軍隊の派遣を要請して村人たちを説得したと
いう。
また、当時横浜の鶴見警察署の署長は、「朝鮮人を殺せ!朝鮮人の味方する警察など叩き潰せ!」と猛り狂う群衆に向かって、「よし、君らがそれまでにこの大川を信頼せず、言う事を聞かないのなら、もはや是非もない。朝鮮人を殺す前に、まずこの大川を殺せ!」とせまり、「朝鮮人が毒を投入した井戸水を持ってこい。私が先に諸君の前で飲むから、そして異常があれば朝鮮人は諸君に引き渡す。異常が無ければ私にあずけよ!」とひるむことなく沈着な態度で興奮状態の群集を説得したという。
また、一人の朝鮮人少年を、命を懸けて守った刑事さんの行動を通して、著者は以下のように述べているが、私も深く共鳴する。
「たんに吉田刑事は職務柄、身寄りを失った少年を保護したまで、ということではないだろう。恐らく吉田刑事は“独り”だったからだ。独りだったからこそ、人として何が正しいかを自分の力で考えることが出来た。対照的に自警団は“集団”だった。集団だったからこそ、独りなら決して考え実行もしなかったであろう凶行に走ってしまっのだ。
福田村事件のことを、百年も前に千葉の田舎で起きた事件、と片付けてすましていられるほど、今の私たちが「同調圧力」や「集団の狂気」から逃れているようには思えない。その意味で福田村事件は“今も続いている”事件と言えるかもしれない。」と。
極めて重大な視点だと考えます。ありがとうございます。