座談会御書「御義口伝」2023年(令和5年)9月度
〈御 書〉
御書新版1027㌻4行目~6行目
御書全集736㌻12行目~13行目
〈講 義〉
今回の発表の際しては池田先生ご述作の「御義口伝講義」上、また「法華経の智慧」を中心に進めさせていただこうと思います。この御義口伝講義発刊は昭和40(1965)年4月2日戸田先生の7回忌を期して発刊され、その序文のなかで先生は、『私は、2年余にわたって、未来を託す学生部諸君を対象に講義を続けた。ひたすら、令法久住を願う誠心(せいしん)からである。』と申されています。したがって、私ごときが講義などとは恐れ多く、ただただ大聖人の御意を汚すことなく、また池田先生のお心がご参加の皆さまに伝わらん事を願いつつ共に学ばせていただきます。
〈御 文〉
新版御書1027p 旧版御書736p 大白9月号44p
(法華経法師品第十) 法師品十六箇(じゅうろくこ)の大事
第二「成就(じょうじゅ)大願(だいがん)、愍(みん)衆生(しゅじょう)故(こ)、生(しょう)於(お)悪(あく)世(せ)、広(コウ)演(えん)此(し)経(きょう)」の事
(大願を成就して、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ)
御義(おんぎ)口伝(くでん)に伝わく、「大願(だいがん)」とは、法華(ほっけ)弘通(ぐつう)なり。「愍(みん)衆生(しゅじょう)故(こ)」とは、日本国の一切(いっさい)衆生(しゅじょう)なり。「生於(しょうお)悪(あく)世(せ)」の人(ひと)とは、日蓮等の類(たぐ)いなり。「広(こう)」とは、南閻浮提(なんえんぶだい)なり。
「此(し)経(きょう)」とは、題目なり。今、日蓮等の類い、
南無(なむ)妙法(みょうほう)蓮華(れんげ)経(きょう)と唱(とな)え奉る者なり。
〈通 解〉
法師品には、末法において法華経をひろめる人は、じつは大菩薩が願って悪世に生まれてきたのであると述べている。
「是の諸人等は、巳(すで)にかつて、十万憶の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生をあわれむが故に、此の人間に生ずるなり」「此の人は是れ大菩薩の、阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)を成就して、衆生を愛愍(あいみん)し、願って此の間に生まれ広く妙法華経を演べ分別するなり」「是の人は、自ら清浄(しょうじょう)の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍(あわれ)むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演(の)ぶるなり」などの文証がある。
御義口伝には、次のように仰せである。「大願を成就して」の「大願」とは法華弘通のことである。つまり広宣流布のことである。末法出現の地涌の菩薩は、すでに、他の世界において、広宣流布を成就してきたのである。
「衆生を愍(あわれ)むが故に」の「衆生」とは、日本国の一切衆生のことである。そして、その「悪世に生まれて」くる人とは、もったいなくも、御本仏日蓮大聖人、およびその門下なのである。「広く此の経を演ぶるなり」の「広く」とは南閻浮提、一閻浮提、すなわち世界全体に広宣流布することであり、「此の経」とは題目、三大秘法の南無妙法蓮華経のことである。
いま南無妙法蓮華経を唱える奉る日蓮大聖人、およびその門下こそ、この法師品の文証に当たるのである。
この様に先生は、法師品を文証として引かれ『私たちは、自分自身で願ってこの末法悪世のこの時に、この国土にともに生まれてきた妙法流布誓願の菩薩なり』とのご宣言と捉えることができるのではないかと思うものです。
それでは、御義口伝筆録の意義とその時代背景を見ていきたいと思います。
参考資料 年譜
文永 8年(1271) 9月竜の口法難 佐渡流罪
文永 9年(1272) 塚原問答 開目抄 生死一大事血脈抄
文永10年(1273) 観心本尊抄 諸法実相抄 如説修行抄
文永11年(1274) 3月鎌倉御帰還 第3回国家諌暁 6月身延御入山
建治元年(1275) 御義口伝講義開始 撰時抄
建治 2年(1276) 日目上人 身延にて大聖人様常髄給仕 報恩抄
建治 3年(1277) 四信五品抄
弘安元年(1278) 御義口伝完成
弘安 2年(1279) 9月熱原法難 10月出世の本懐ご宣言
御義口伝は、日蓮大聖人が末法ご本仏としてのご内証から法華経の要文を講義されたものであり、建治元年から建治3年に渡り、約3年かけてご講義され、そのご講義を日興上人がご筆録、大聖人に御裁可を受け、弘安元年の比較的早い時期に完成されてと伝わっています。文永8年9月の竜の口の法難に始まる佐渡流罪、文永11年3月鎌倉に御帰還あそばされ、身延にお入りになられて後、開けて建治元年から、御義口伝の如くにご講義が開始され、末法広宣流布の為、後継の弟子育成に全生命を掛けて進まれており、先生もまた同じお心で学生部にご講義されていたものと思うものです。まさに「令法久住」「死身弘法」の闘いではないでしょうか。
また先生は、法華経の智慧のなかで御義口伝ついて『法華経二十八品の一文一句が、ことごとく妙法の当体である自分自身のことを説いている。決して遠くのことを説いているわけではない。この根本の立場から、法華経をどう読むべきかを大聖人は御義口伝としてお残しくださっている。』と御義口伝の意義を語っておられます。
では、本文に入らせていただきます。
まず、法華経法師品第十の大意を極々簡単に申し上げておきたいと思います。
この法師品第十より、安楽行品第十四までの五品は迹門の流通分に当たり、釈尊ご在世の人々のみならず未来世の人々をも利益する説法が展開され、釈尊自ら弘教の功徳深重(しんじゅう)(功徳が幾重にも重なること。また、深く大きいさま)を説きます。特にこの法師品第十では末法の弘教の人法と、弘教の具体的な在り方を示されており「末法に於いて、一人でも妙法蓮華経を説くものは、如来の使いなり、如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」と示されおり、今回拝読する前段に当たる、第一「法師」の事では、法師の「法」は南無妙法蓮華経・「師」とは日蓮大聖人の御事であり「人法一箇」を表しているとおおせです。
講義の中で『「大願とは法華弘通なり」とは末法今時においては御本尊の広宣流布であり。』『この文は、地涌の菩薩の使命、目的を明かされている。』とご講義され、
元々、本来大福運を保つ大菩薩が、みずから望んでこの時代に苦しむ民衆を救わんがために大折伏を敢行し戦い抜く、この大菩薩こそが日蓮大聖人であり、私たち門下であると講義されています。
この「大願」を自覚する。という事について法華経の智慧では『どんな宿業の苦しみも、それを克服して勝利の実証を示すために「あえて自分が選んだ苦しみ」なのです。そう確信することです。勝つために自分があえて作った苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。「大願」を自覚すれば、すなわち「我、本来仏なり」と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。』と「願兼於業」に通じるご指導です。
また、同じく法華経の智慧では、菩薩の「求道者」と「救済者」の両側面に触れながら『法師には、その両面がある。「求道」の面を忘れれば傲慢になるし、「救済」の面を忘れれば利己主義です。学びつつ人を救い、人を救うことでまた学ぶのです。「求道」即「救済」「救済」即「求道」です。ここに人間としての無上の軌道がある。』とご指導くださり、弟子各人へ、人としての努力と向上を促されています。
また、先生は、御義口伝五百弟子品の「我心本来の仏なり」を引かれ、『仏に成ろうと一生懸命、努力してきたと思ったが(従因至果・因から果へ、九界から仏界へ。)法華経の山に登ってみれば、一気に視界が開けて、宇宙の大パノラマが見えてきた。そこでは本有常住の久遠の仏が休みなく十界の衆生を導いて菩薩行をしておられる(従果向因・果から因へ、仏界から九界へ)。その振る舞いは久遠から三世にわたって不断に続き、変わることがない。そして、自分自身を見ると、久遠の凡夫として、仏と師弟不二である。師弟一体で広宣流布へ菩薩行をしているのである。』とされ、私たちの生命の深き実相をより具体的に表しているご指導だと思うものです。
さて、皆さんお気づきの方もいらっしゃると思いますが、旧版御書・また先生の講義録にも、最後の段が「唱え奉る者なり」としていますが、新版御書では「唱え奉るなり」と「者」が表現されてなく、大白も新版にのっとっており、実にあっさりとした印象に感じます。
先生は『大聖人様こそが末法のご本仏であり総じて、私たち一人ひとりが紛れもなく日蓮門下であり、地涌の菩薩なのである。』と講義され、末法に題目を唱える人の立場を明らかに示されており、どちらかと言うと「唱え奉る者なり」と人に焦点を当てた旧版が「大聖人のご人格」の視点とを考え合わせると、私個人は、この旧版の「唱え奉る者なり」がしっくりきましたが、皆さまはいかがでしょうか。
そして講義の最後に、『一日も早く、大折伏の前進をし、破邪(はじゃ)顕正(けんしょう)の剣を引っ提げて、邪宗、邪義を打ち破り、夢にみる仏国土の建設を、実現したいものである。そして、大聖人の御なげきを、お喜びに変えていきたいものである。』と結ばれています。
今回、先に申したように先生の講義録および法華経の智慧を取り上げてさせていただきましたが、法華経の智慧のテーマは「哲学不在の時代」です。このテーマを思い出し
今、読みました講義録最後の行が、私の頭の中でこのように聞こえてきました。
「令和の乱れた時代である、わが弟子よ、前進せよ、破邪顕正の剣があるではないか、現代に生きる使命・目的は、ただ一切の邪義をも、原田学会をも打ち破り、広宣流布をなしとげゆく為、仏国土建設実現に闘いぬくのだ。その中に生ききることこそがご本仏、日蓮大聖人が最大にお喜びになることであり、これこそが「師弟不二」である。と。
大聖人、創価三代会長は、末法万年広宣流布の為に断固闘う。「わが弟子よ、民衆よ。一刻も早く妙法を自覚し目覚めよ。」とのお声が聞こえます。
最後になりますが、いつの時代も、権力者というものは、民衆の意識の目覚めや、平等の思想を嫌うものです。日々の報道もなにが本当で何が嘘なのか、非常に見分けにくい時代です。とかく、今だけ・利益だけ・自分だけが流行語のようにはやり、人を切り捨てていきやすいこの風潮こそ、先生がよく本幹等でご指導下さった「精神の乱れ」であり「思想の乱れ」まさに「哲学不在の時代」なのではないのでしょうか。なればこそ、今世の「使命」「目的」を意識して生きたいと思うものであり、私自身、日々御書を学び、唱題を実践し、今世の使命を自覚し行動せねばと強く思った次第です。
「願わくばわが弟子等・大願ををこせ」この大聖人、創価三代会長に貫かれたお心を私たちはたがえることなく、今日もまた、明日のまた新しい決意をもって出発いたしたいと思います。
以上でございます。
本日は、ありがとうございました。
御書講義 動画サイトほか
9月度座談会御書履歴
座談会御書 「新池御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2001年(平成13年)
座談会御書 「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「持妙法華問答抄」2003年(平成15年)
座談会御書 「顕仏未来記」2004年(平成16年)
座談会御書 「如説修行抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「松野殿御家尼御返事」2006年(平成18年)
座談会御書 「上野殿御返事(刀杖難事)」2007年(平成19年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2008年(平成20年)
座談会御書 「四菩薩造立抄」2009年(平成21年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2010年(平成22年)
座談会御書 「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」2011年(平成23年)
座談会御書 「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」2012年(平成24年)
座談会御書 「持妙法華問答抄」2013年(平成25年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2014年(平成26年)
座談会御書 「千日尼御前御返事(真実報恩経事)」2015年(平成27年)
座談会御書 「可延定業書」2016年(平成28年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2017年(平成29年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」2018年(平成30年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2019年(平成31年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2020年(令和02年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2021年(令和03年)
座談会御書 「経王殿御返事(土餅供養御書)」2022年(令和04年)
9月の広布史
――「原水爆禁止宣言の日」――
昭和32年9月8日
■小説「人間革命」12巻 第2章「宣言」
■大道を歩む 私の人生記録Ⅱ 原水爆禁止宣言三十周年
■池田大作全集第百十巻 対談 希望の選択
■池田大作全集第百二十七巻 随筆 原水爆禁止宣言三十周年
■池田大作全集第百三二巻 随筆 新・人間革命
「原水禁宣言の日」に思う 平和へ! 魔性の生命との大闘争を
9月広布史関連情報
日本パグウォッシュ会議 https://www.pugwashjapan.jp/
核時代平和財団 https://www.wagingpeace.org/
アボリション2000 https://www.abolition2000.org/en/