投書者:カナリア
昨日の東京新聞、「本音のコラム」で、元文部事務次官の前川喜平氏が「公明党はどこへゆく?」と題して、至極真っ当な意見を述べている。
以下紹介する。
『次期解散総選挙に向けて、新しくできる東京28区での公明党の候補者の擁立を自民党が認めなかったため、怒った公明党は東京の選挙区での自民党の候補者を推薦しないと決めた。
一方大阪では、公明党は日本維新の会との選挙区調整を維持するため、東京で維新の候補者を推すという取引を考えているそうだ。それに対して自民党からは、公明党が東京で維新と協力するなら連立関係は終わると警告する声が出ているという。
こうした政党間の合従連合には理念も政策もない。ただ票のやり取りがあるだけだ。自民党と連立を組んだ当初の公明党には独自の理念や政策があり、自民党の右傾化に歯止めをかける存在でもあった。
(中略)
「中道」であったはずの公明党は自民党によってなし崩し的に右へ右へとひきずられ、「平和」の党だったはずなのに、平和憲法を破壊し大軍拡路線をひた走る自民党にずるずると追随する。政権にしがみつく「下駄の雪」と揶揄されても仕方がない。
この際公明党は、自民党とも維新とも協力関係を解消して、自分たちの政治理念を問い直し、裸一貫から出直した方がいいのではないか?』
全面的に同感である。国家・国民のためにどのような政策を実現させるか?これが政治の原点のはずだ。政策の違いによって自民党との連立を見直すならばともかく、たかが選挙区調整がうまくいかないから、東京では自民党候補に推薦を出さないと決めた公明党。何とレベルの低い話だろうか。
明年2024年で公明党は立党60周年を迎える。党の創設者である創価学会名誉会長池田先生の言を借りれば、公明党はとうの昔に「独り立ち」していなければ恥ずかしい存在なのである。それなのに、いつまでも「創価学会」に頼り切り、真の国民政党に脱皮できないままである。この異様さを支援団体の創価学会執行部もいい加減に認めねばならない。
宗教団体による「政党」の立ち上げ。今までの歩みを振り返ると、「残念ながら日本国では、難しかった・」と総括せざるを得まい。仏法を基調とした平和・文化・教育の理念を持している「公明党」でさえ、権力との軋轢に埋没してしまったという現実。これはあまりに重い課題であろう。
巷間「公明党が与党にいるから、創価学会は迫害されない・・」などと物知り顔にのたまう創価学会の幹部がいる。これは「本末顛倒」なのである。敢えて言えば「日蓮仏法は迫害されてなんぼ」の宗教ではないか。民衆のために悪と戦い、謂れなき迫害を受ける。これを恐れたなら、もはや日蓮門下とは言えない。そう、今こそ、創価三代の精神を思い起こす時なのである。
カナリア様
素晴らしいご投稿ありがとうございます。
前川喜平氏の論説も、カナリア様のご意見も全くその通りと共感いたします。
『敢えて言えば「日蓮仏法は迫害されてなんぼ」の宗教ではないか。』
大聖人から流れる創価三代の精神もまさにここにあると思います。
「ケンカ学会」はどこにいってしまったのか。
その精神を体現できる自分になれるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
ありがとうございます。