座談会御書「呵責謗法滅罪抄」2023年(令和5年)4月度
〈御 書〉
新版御書 1539㌻4行目~5行目
御書全集 1132㌻10行目~11行目
〈本 文〉
いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。
〈通 解〉
どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経や十羅刹よ、助け給へ」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。
〈講 義〉
今回学ぶ御書は、「呵責謗法滅罪抄」です。本状は「四条金吾」に与えられた書状とされていますが、文中の内容から「四条金吾および妻」に与えられたものと思われます。新版御書では、本状執筆を佐渡流罪中の「文永10年」としていますが、自活檀林の研究では、文中の内容から見て系年を「文永10年」と断定するには根拠が乏しいように思います。学問的な説明ははぶきますが、自活檀林の現時点での本状系年は佐渡流罪赦免までの文永11年3月以前としました。
< 背景と大意 >
はじめに、背景と大意を説明したいと思います。
文永8年9月12日未明、幕府の権力者であった平左衛門尉は数百人の武士を率いて大聖人を捕縛し、その夜半、大聖人の頸を斬るために竜の口の刑場に向かいます。
この「竜の口の法難」から「佐渡流罪」へと続く一連の大難の中で同じく鎌倉に住む門下に対してもさまざまな迫害がありました。
その渦中、実に多くの門下が動揺を起こし、退転していきます。そのような中にあっても、苦難に耐えて信仰に励む四条金吾夫妻の姿に思いを馳せられ、その感動を述べて送られたのが本状です。
本状は大変長い書状ですが、全体の内容を簡潔にまとめると、
大聖人はまずご自身の受難――いわゆる伊豆流罪・佐渡流罪等の大難を通して、呵責謗法滅罪の法門を示されています。すなわち、本来であれば過去世の謗法の罪によって無数劫の間地獄に堕ちなければならないのに、かの不軽菩薩の実践を今に移す「法華経ゆえの受難」によってその罪が消滅し、未来の大苦を免れることができるという原理が説かれています。
次に、法華経神力品で説かれる釈尊から四菩薩等に対する末法弘通のための付属の儀式を細かく描写し、このように付属を受けたにもかかわらず、末法に入ってこれまで四菩薩の出現が一向にみられないのはどういうわけかと疑問を呈されています。
その上で、法華経序品に説かれる六瑞が仏の法華経説法の瑞相であったように、正嘉の大地震や文永の大彗星などの天変地夭こそ、四菩薩が出現し妙法を弘める大瑞相であると断ぜられています。
ここで大聖人は、金吾から寄せられた質問を挙げます。どういう質問かというと、「立正安国論には、正嘉の大地震等の災難は法然の正法破壊によって瞋りをなした諸天の謗法治罰のために引き起こされたものであると説かれているのに、開目抄では種々の大難は法華経の行者が出現し妙法を流布する瑞相であると説かれている。一見矛盾しているかにみえる両義の真意は何ですか」というものです。
大聖人はその質問に対して、両義は共に真実であり、大悪は大善の来るべき瑞相であるという法門上の重要な意義を明かされました。そして、経文通りに法華経を身読された大聖人こそが、末法弘通の大法を付属された上行菩薩であり、三徳具備の久遠本仏であることを示唆されています。
続いて大聖人は、金吾の父母への孝養を賛嘆し、中国の故事を引いて、親への追善供養のあり方についてご教示されています。また、鎌倉から遠く佐渡に流された大聖人に折あるごとに食物などの供物を届けられ、外護に努める金吾夫妻に対し、真心への尽きせぬ感謝を述べられ、金吾夫妻をはじめ弟子門下および一切衆生を救い切るとの深い決意を述べられて本状を結ばれています。
今回学ぶ一節はその最後の部分になります。御文をもう一度、拝読します。
【本文】
いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり
この一節は大変有名な御文ですから皆さんもよくご存知だと思います。
先ほども述べましたが、これは、四条金吾夫妻をはじめ門下および一切衆生を一人も漏れなく救い切るとの深い決意を述べられた言葉です。しかし見方を変えれば、大聖人の他者に向けた「祈り」とは、「どういうものであったか」という大聖人の人格と言いますか、大聖人の心、一念を知るための御文であるとも拝せます。
仏法は本来、万人成仏を説いた教えですが、「自分の人生は、自らの努力と実力で切り開いていく」という人間の主体性の確立と自立を目指しゆく思想でもあります。
その反対に、自身の努力以外の力によって――たとえば、誰かに動いてもらって解決しようとか、問題が起こって苦しい時は幹部の話を素直に聞くが、問題解決に向けては何もせず、ただ題目任せ、御本尊任せ等々――他者の努力と力によって「事の成就」を願う人も少なからずいます。しかしこの考え方自体、すでに仏法ではなく、それは単なる夢物語に過ぎません。
19世紀に活躍したイギリスの作家・サミュエル・スマイルズは、「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉を残しています。これは「人に頼らずに自分自身の努力で頑張っている人には、天が救いの手を差し伸べて幸福をもたらしてくれる」という意味ですが、逆に言うと「人の力に頼り切って努力を怠っているような者には幸せは訪れない」という戒めでもあります。
このサミュエルの言葉は、信仰している・していないに関わらず、人間としてすべての人に通ずる思想です。これを大前提として、さらに仏法を実践していけば、必ずその努力にふさわしい結果が「功徳」となって現れます。
私たちに置き換えて言えば、「仕事は三人前・信心は一人前」という学会指導をまじめに実践していけば、自分自身のことは「自らの力」でどうにでも開いていくことができるということです。またそれが創価三代の一貫した指導でもありました。
しかし、自分以外の人に関する問題は「ただ祈る」以外にありません。
大聖人もこの時、罪人という身で多くの門下から遠く離れた佐渡の地にいて、苦境の中にある弟子に対してはどうすることも出来ませんでした。
しかし大聖人は苦しむ弟子に思いを馳せ、「法華経・十羅刹助け給へと強盛に申している」と述べられています。しかもその様相は「湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く」です。
たとえば、これを関西風の対話形式で解釈すると、
【大聖人】十羅刹さん、あんたは法華経を実践する人を護ると誓ったんやから金吾たちをもっとしっかり護れよ!
【十羅刹】いやいや日蓮さん、そうは言うはりますけど、私はその人の信心の強弱に応じてしか動けませんねん
【大聖人】そんなこと言わんでも分かってとるわい! 無理を承知で頼んでんねんから、何とかせーよー!
――となるでしょうか。
これはもう理屈を超えた「祈り」です。常識的に考えれば、道理に合ったことならわざわざ祈るまでもなく、自身の力で努力することができます。しかし大聖人でさえ、弟子の問題に関しては「祈る」ことしかできなかったのです。
実際、大聖人は開目抄で「法華経の行者に諸天の加護があるかないかを今まで論じてきたが、結局のところ、天が日蓮を捨てようが、どのような難にあおうが問題ではない。一身一命を投げうって正法弘通に邁進するのみである」(趣意、114㌻)と自らの決意を表明されていますが、他者に対する大聖人の「祈り」は、自分はどうなろうと「弟子を何が何でも護りたい」と願う一念であり、不可能と思われることを可能にするところにありました。
まさに末法の御本仏として、ご自身の忍難と死身弘法の闘争を通し、民衆救済を誓う大聖人の烈々たる気迫と慈愛が胸に迫ってくるお言葉です。これが大聖人の人格であり、同じく世界広宣流布を切り開いた創価三代の心ではないでしょうか。
本状の冒頭で、大聖人は「自身が受けた伊豆流罪や佐渡流罪は、法華経ゆえの受難なのだから悦んでいる。この受難によって過去の罪が消えるのだから、むしろうれしいと思っている」(趣意)と自身の心情を語り、弟子たちを励ましています。
困難に立ち向かおうとせず、ただ平凡に信仰しているだけでは、中々このような境地には立てないものです。その意味において、私たちも決して困難から目をそらすことなく、それに立ち向かっていく信心の修行が大切ではないかと思います。
――ともあれ、強い祈りをもって弟子たちのために祈られる大聖人のお心に、仏としての崇高な大慈悲を感じます。私たちも今日より、大聖人の祈る行為の根本姿勢を手本として、自身はもとより家族や友人を励ましていける人間に成長していきましょう。 以上で終わります。ありがとうございました。
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4月度座談会御書履歴
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