【投書】創立92周年に寄せて。
投書者:カナリア
来たる11月18日、創価学会は創立92年周年を迎える。創立100周年を視野に、創価学会とは一体、何を目的にした団体なのか?との、原点を問う動きが出てくることを、私は願う。
間違った執行部や愚劣な幹部によって、【公明党の支援・新聞啓蒙・財務】が、あたかも会の目的のようにされてしまって久しい。そんな中で、本来あるべき「価値創造」を目指す団体への回帰を望む、心ある同志諸氏もいらっしゃるだろう。しかし、集団における同調圧力にどっぷりつかってしまって、「問題意識」を持てない会員が多いことも事実である。
また「この事はおかしいのではないか!」と思っても、声を上げられずにいる方が、多数存在するのも、悲しい現実であろう。
決してあきらめること無く、創価学会の発迹顕本を念じ続ける私にとって、加藤周一氏が比喩として述べたという、30年前の「三匹の蛙の話」は胸に響いた。以下抜粋し紹介する。
三匹の蛙が牛乳の容器の中に落ちた。悲観主義の蛙は、何をしてもどうせだめだからと考えて、何もせずに溺れ死んだ。楽観主義の蛙は、何もしなくても結局うまくいくだろうと考えて、何もせずに溺れ死んだ。現実主義の蛙は、蛙にできることはもがく事だけであると考え、もがいているうちに、足もとにバターが出来たので、バターをよじ登り、一跳びして容器の外へ逃げた。
悲観主義者は、何もすることもなく溺れ死ぬ。楽観主義者も、何もすることもなく溺れ死ぬ。悲観主義者も楽観主義者も同じ結果を生み、現状は打開できない。現実主義者だけが現状を打開するー-。
池田先生のご指導にある通り、人生を処するにあたり、楽観主義は勿論大切な事である。この生き様を前提にしたうえで、自分が為すべきことをする。また出来ることをする。
私流にいえば、各人の出来る限りの「レジスタンス運動!」。これが大事なことだと思っている。
仏法は道理なのである。本末顛倒の運動や道理を外した運営のあり方が、永遠に続くことなどありはしない。叶うまで祈る。さすれば、叶わぬ祈りはないのだから。
メッシの言葉を思い出します。
「努力するから報われる?
そうじゃないだろ。
報われるまで努力するんだ」