座談会御書「佐渡御書」2022年(令和4年)10月度

〈御 書〉

御書新版1285㌻16行目~1286㌻3行目
御書全集957㌻7行目~10行目

〈本 文〉

畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。

〈通 解〉

畜生の心は自分よりも弱い立場の者は脅し、強いものを恐れる。今の世の学僧等は畜生のようなものである。智者の立場の弱いことを侮り、権力者の力が邪なことを恐れる。諛臣(こびへつらう家臣)とはこのようなものをいうのである。悪王が正法を滅ぼそうとするときに、邪法の僧らが悪王に味方してこぞって智者を滅ぼそうとする時は、師子王のような心を持つ者が必ず仏になるのである。例えば日蓮である。これは驕りから言うのではない。ただひとえに正法が失われてしまう事をおそれる心が強盛であるからである。

〈講 義〉

文永8年に、竜の口の法難、佐渡流罪と立て続けに起きた大聖人の受難と、それに起因して門下に降りかかった権力からの弾圧により、難を恐れ多くの門下が退転してしまいました。その退転者の多さは、新尼御前御返事に「かまくらにも、御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候」(新版1223頁 全集907頁)とあることからもうかがえます。
文永9年3月20日。流罪地佐渡において、法難に揺れる門下一同に対し、受難の意義と難を乗り越える信心を教えられたのが本状です。
拝読箇所の御文では、悪王と邪法の僧等が結託し、正法を失わんとする時こそが、成仏の絶好のチャンスであり、いかなる苦難があっても、大聖人と同じく師子王の心をもって勇んで立ち向かう人は必ず仏になれるということを断言されています。弘安二年、かの熱原法難の際にも、門下に対し「各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ。師子王は百獣におじず。師子の子、またかくのごとし。彼らは野干のほうるなり。日蓮が一門は師子の吼うるなり。」(聖人御難事 新版1620頁 全集1190頁)と教えられています。
開目抄の「我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。」(新版117頁 全集234頁)において、大聖人が門下に対し「朝夕教えてきた事」とは、まさに広布のために起こる難こそ成仏の因であり、その時に強盛の信心で奮い立ち、師子王の心を取り出して乗り越えていくことが末法における真の成仏の在り方であるということではないでしょうか。
苦難に直面した時にわが胸中から取り出すべき「師子王の心」というキーワードですが、この「師子王の心」とは一体どんな心でしょうか。本状では「例せば日蓮がごとし」とあり、常忍抄という御書では「日蓮程の師子王」(新版1337頁 全集982頁)と教えられ、「師子王の心」とはつまり「大聖人と同じ心」であると説かれています。
では、「大聖人と同じ心」とは一体どんな心でしょうか。人それぞれ想いは異なると思いますが、私自身が思う「大聖人の心」とは、一つは「自分に負けない心」です。逆境の時、順風の時など人生にはいろいろな時がありますが、どのような環境、状況であったとしても、主体者は自分自身であり、様々な出来事から幸不幸を感じる当事者であることに変わりはありません。
以前オンスタで学ばせていただきましたが、苦しみも楽しみも本来縁起不二であり、苦のないところに楽は無く、楽のないところに苦はありません。苦難は来るべき楽の因であり、避けるものではなく受け入れて立ち向かうものと覚ることが大切です。どのような状況であっても、常に自分にとって最高の価値を創造していけるのがこの信心だと思います。しかし、このような原理を頭でわかったとしても、いざという時に臆病な自分に負け、苦難を避け、逃げてしまえば永久にその苦から逃れることはできません。結局は自分に勝つか負けるかということになるのだと思います。
では、どうすれば「大聖人と同じ心」を出すことができるのか。
日寛上人は、観心本尊抄文段の中で、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段548頁)と断言されています。
御本尊へのひたぶるな唱題によって、我々の生命がそのまま大聖人の生命としてあらわれる。まさに、日々の唱題の実践こそ、自身の無限の希望と勇気の源泉となるのです。
以前、先輩から難を乗り越える信心についてこう教えていただきました。
「難を乗り越える信心とは、全ての事柄を全部自身の事ととらえ、成長のチャンスと喜び、感謝し、自身の一念を変革して法界を変えていくことだ。他人や環境のせいにしているうちは法華経の智慧は湧かない。それではいつまでたっても爾前経の智慧になってしまう。いかなる苦難も全部自分自身の一念によって切り開いていくことだ。」と。
私たちは、「師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。」とのご金言を確信し、あらゆる苦難を乗り越え、さらに深く、大きく境涯を開き前進してまいりましょう。


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10月度座談会御書履歴

座談会御書 「三三蔵祈雨事」2000年(平成12年)
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10月の広布史

――「世界平和の日」――
昭和35年10月2日

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■大道を歩む 私の人生記録