【投書】一番弟子の仮面を付け、正体を隠す僭聖増上慢!

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投書者:カナリア

教学用語検索によると、僭聖増上慢とは:【世間から厚く尊敬され聖者のように思われている高僧をさす。内実は狡猾で名聞名利を求める念が強く、慢心を抱き、自分より勝る者が現れると反発・敵対し、世俗の権力を利用して法華経の行者を排除しようとする。】とある。

「高僧」を六代会長原田(スーツ坊主)に置き換え、「世俗の権力」を「国家権力の一部と化した公明党」と読み替えれば、今起きている事の本質は明白なのだが、「惑失本心」の会員諸氏には、なかなかわからない。

また、三代会長だった池田先生を、辞任に追い込んだ「昭和54年問題」は、組織主義に染まった複数の宗教官僚達が「集合体」として起こしたものだったのだろう。そして、その本質は、残念ながら今も一向に変わらない。

日顕氏の場合、先師日達上人の時代に建設された大化城や大客殿、正本堂までも、ことごとく破壊した。先師を尊敬していたなら、先師が築かれたものは、どこまでも大切にするであろう。破壊し尽くすなど、先師に背信した者でなければ、決して出来ない所業である。

「一番弟子」の仮面を付けた六代原田はどうだろう?表層的には池田先生を宣揚し、陰では先生のご功績や思い出を次々に消し去っている点で、一層、はなはだタチが悪いのである。

例えば東京千駄ヶ谷にあった「創価国際友好会館」。海外の要人をお招きし、何回も本幹等が開催された、池田先生との縁深き会館であった。それを、六代原田は、いとも簡単に解体・売却してしまったのである。

また、師匠池田先生を求め抜き、若くして逝去された初代北海道女子部長の嵐慧子さん。彼女の純粋一途な信心を顕彰するために記念植樹された「嵐桜」は、会館立て直しの際に、無残にも産業廃棄物として処分されてしまったと聞く。こうした例は枚挙にいとまがないのである。

2006年に六代に就任した原田氏。2011年までの会長任期一期目の間は、それなりに頑張っていたやに聞き及ぶ。が、その後、池田先生が病に倒れられ、先生の叱咤が無くなったことを機に、自らの信心を「第六天の魔王」に食い破られ、宗教官僚の本領を、余すところなく、顕在化させるに至ってしまった。振り返ってみれば、池田先生が「悪」を冥伏させて下さっていたのだと、つくづく腑に落ちるのである。

嫉妬と忘恩、そして他化自在天の権力欲。これが僭聖増上慢の本質であろう。

しかし、魔を魔と見破る事が出来れば怖くない。「師弟の眼」をもって、会員諸氏が見抜いていった時、「魔」は退散せざるを得ない。個々自立の信心が、そのカギを握っているのだと思う。