妙法曼荼羅~白法隠没の仏なき時代に顕された仏
弘安3年3月、日蓮大聖人は一幅の曼荼羅を顕します。
立正安国会の「御本尊集」No81、顕示年月日は「弘安三年太才庚辰三月」で、讃文には「仏滅度後二千二百二十余年之間 一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也」とある御本尊です。大聖人の臨終の時に奉安されたと伝えられ、「臨滅度時本尊」とも称されています。
授与書きがないところから、私としてはこの御本尊が身延の草庵に安置されていたと考えているのですが、そのことは「身延の草庵で拝していた曼荼羅本尊は?」に書きました。
(※上田本昌氏は論考「日蓮聖人後期の曼荼羅について(二)」(棲神66号)において、「臨滅度時本尊」について、「また入滅の際に掲げたとする点から推すと、特定の個人宛ではなく、ご自身の御本尊として、信仰対象とされていたものではないかとも考えられてくる」といくつかの推測をされています)
この頃になると御本尊の相貌も整い、連続して認めることもあり、4月には9幅(確定ではありません)の御本尊を顕しています。大聖人は妙法の曼荼羅本尊をどのような思いで顕していたのか?それをうかがい知れるのが同年5月4日に妙心尼に宛てた書簡、「妙心尼御前御返事(妙字御消息)」ではないかと思います。
妙の文字は花のこのみとなるがごとく、半月の満月となるがごとく、変じて仏とならせ給う文字なり。されば経に云く「能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり」と、天台大師の云く「一一文文是れ真仏なり」等云云。妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを、我等が眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり。
中略
されども此の妙の字は仏にておはし候なり。又此の妙の文字は月なり、日なり、星なり、かがみなり、衣なり、食なり、花なり、大地なり、大海なり。一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う。又は如意宝珠のたまなり、かくのごとくしらせ給うべし。
妙の文字は、仏とならせ給う文字。
妙の文字は釈迦如来である。
妙の字は仏である。
妙の文字は月、日、星、鏡、衣、食、花、大地、大海である。
一切の功徳を合せて妙の文字となる。
妙の文字は如意宝珠のたまである。
これらを拝すると、妙法曼荼羅は
『衆生をして仏知見を開かしめ
衆生に仏知見を示さんと欲する
衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲する
衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲する』(方便品第二)
衆生に開示悟入せしめんがために出現した仏であり、
御本尊がそこに在るというのは、
『今汝等が為に 最実事を説く』(薬草喩品第五)
との仏が説法教化する姿でもあり、
御本尊の意味というのは、
『毎に自ら是の念を作さく、何を以ってか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと』(如来寿量品第十六)
いかにして末法の衆生を無上道へと導くかという、仏の常の願いの結実であるように思えます。
『白法隠没の仏なき時代に顕された仏』
それこそが日蓮大聖人の曼荼羅本尊=大御本尊なのでしょう。
林 信男