空海の「三教指帰」と「立正安国論」
ある人が「あの時代に宇宙を意識していた空海は天才だよ」と言うのですが、宇宙の使い始めは「日本書紀」でしょうか。
「日本書紀」神代上
故、其の父母二神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に詔したまはく、“汝甚だ無道し、以ちて宇宙に君臨たるべからず。固當遠く根の国へ適れ”とのりたまひ、遂に逐ひたまふ。
(素戔嗚尊は荒々しかった)故に、父母の二神は素戔嗚尊にいわれるのに「あなたは大変に無道であります。それでは天下(宇宙)に君たることはできません。必ず遠い根の国に行きなさい」と、そして遂に追いやられた。
宇宙といっても、この場合は世界、天下という意味での使われ方です。
さて、天才云々はともかく、空海の著作である「聾瞽指帰(ろうこしいき)=三教指帰(さんごうしいき)」は弁証法的な手法、比較思想論とか難しいことをいうよりも蛭牙公子(しつがこうし)、兎角公(とかくこう)、亀毛(きもう)先生、虚亡隠士(きょぶいんし)、仮名乞児(かめいこつじ)らの、儒教から道教、仏教に至る対話、討論、論破は一気読みさせてくれる痛快なる読み物の感があります。
空海といえばあの求聞持法。
虚空蔵菩薩を念じて記憶力増進を成就する修行法、虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)は空海が入唐する前に行ったものが有名です。
「三教指帰(さんごうしいき)・序」(聾瞽指帰と題して797年・延暦16年12月1日に成立)
時に一沙門有り。虚空蔵求聞持法を呈示す。其の経に説く。若し人、法に依って此の真言一百万遍を誦せば、即ち一切経法の文義暗記を得ん。
是に於て大聖の誠言を信じ、飛焔を鑽燧に望み、阿波国大瀧之獄に躋り攀ち、土佐国室戸之崎に勤念す。幽谷は聲に応じ、明星は影を来す。
意訳
ある時、(空海は)一沙門から「虚空蔵求聞持法」を示された。その経によると、「山中に篭もり、虚空像菩薩の真言(ノウボウアキャシャキャラバヤ・オンアリキャマリボリソワカ=華鬘蓮華冠[けまんれんげかん]をかぶれる虚空蔵に帰命す)を百万遍誦すれば、一切経の深義、文の意味するところが心中に入るであろう。記憶力が増進し、一切経の智恵を得ることができるのである」ということであり、沙門の教えを聞いてからは、(空海は)木鑽により炎を発するような不眠不休の修行を成し、四国阿波の国の深山、太龍の岳や土佐の国室戸岬に篭もったのです。深山幽谷は(空海の)音声に応じて響き、ついには明星(虚空蔵菩薩の応化)が来影しました。
空海が高僧より虚空蔵菩薩求聞持法を教えられ、教理研鑽よりもその実践修行を行い、結果、明星来影の不思議体験をして、その理論的根拠を知るべく経典探索を続け入唐に至ったとも指摘されています。探求⇒修行⇒体験⇒教理研鑽⇒探求・・・ですね。
「三教指帰」の始まりと終わりの数行を読んでみましょう。
序文
ものごとを文章にするには必ず理由があります。自然界に色々な現象が起きるように、人間は感動した時に色々な想いを書き表わすものです。
文末
春の花は枝の下へと散りゆき 秋の露は葉の前に消えていきます
流れる水は止まることなく 勢いよく吹く風は幾たびも音を立て過ぎていきます
欲望は人びとを溺らせる海であり さとりの境地は人びとの帰るべき峰でありましょう
今や三界の束縛を知りえたからには 世俗の栄達を捨てて仏法の道を進みゆこうではありませんか
もうこれだけで、私も何かが覚醒したような思い、錯覚に?なりますが、対話、問答、流れるような文体の「三教指帰」が後の時代に影響を与えないわけがなく、「立正安国論」の四六駢儷体(しろくべんれいたい)の文章の典拠として、「三教指帰」が挙げられています。
・北川前肇氏 大崎学報157号「日蓮聖人の立正安国論と三教指帰」P53
・山中講一郎氏 法華仏教研究3号「立正安国論はいかに読まれるべきか」P56
数多くの日蓮大聖人の真蹟を伝える中山法華経寺には、平安後期・院政期のものとされる「三教指帰注」が伝来していて、「立正安国論」提出の文応元年(1260)以前、青年時代の日蓮は「三教指帰」を何度も読み込んでいたのではないでしょうか。
「三教指帰」の問答の最後で、仮名乞児(かめいこつじ)の前で亀毛先生たちが仏道精進の誓いを立てるくだりは、「立正安国論」の文末と、どこか通じ合っているように思います。
「三教指帰」文末
「生死の海の詩」と「さとりの境地」を聞いた亀毛先生たちは、あるいは恐れ、あるいは恥じ、または哀しみ、または笑いました。
話しの内容に合わせて,うな垂れ、あるいは仰ぎ、水が器の形に従うように、乞児の教えのままにしたがいました。
そうして、喜び勇んでいいます、「私たちは幸いなことに、稀有な大阿闍梨に会うことができ、すぐれた仏教の教えをいただきました。
中略
これからは『華厳経』に説かれているように、皮膚を剥いで紙とし、骨を折って筆とし、血を刺して墨とし、しゃれこうべを曝(さら)して硯(すずり)に用い、慎んで慈悲深い教えを書き記し、生死の海を渡り、さとりの道を進む、舟や車の道標(みちしるべ)にいたしたいと思います」と。
「立正安国論」
客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)わざらん。此の経文を披(ひら)きて具(つぶさ)に仏語を承(うけたまわ)るに、誹法の科(とが)至って重く毀法(きぼう)の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち、三部経を仰ぎて諸経を閣(さしお)きしは是れ私曲(しきょく)の思ひに非ず、則ち先達(せんだつ)の詞(ことば)に随ひしなり。十方の諸人も亦復(またまた)是くの如くなるべし。
今世には性心(しょうしん)を労(ろう)し来生(らいしょう)には阿鼻に堕せんこと文明らかに理(り)詳(つまび)らかなり疑う可からず。弥(いよいよ)貴公の慈誨(じかい)を仰ぎ、益(ますます)愚客の癡心(ちしん)を開き、速やかに対治を廻(めぐ)らして早く泰平を致し、先ず生前を安んじ更に没後(もつご)を扶(たす)けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡(いまし)めんのみ。
日本仏教の大いなる旅とその歩み。
学ぶほどに「そうか!私も旅人の一人なんだ」そんな自分を発見したりで、実に愉快で楽しいものがあります。
林 信男