私論「三光天子」

投稿者:鬼滅の言

三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頸をたすけ、明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ、いま日天子ばかりのこり給ふ定めて守護あるべきかとたのもしたのもし

四条金吾殿御消息(竜口御書) 御書p.1,114

竜口の法難より750年。今回は三光天子(日天・月天・明星天)について考えたいと思います。

【竜口御書】
竜口の法難では、月天子が光物として現れ、その後、4~5日以前に明星天子が出現したと説かれています。今後は残る日天子の守護があると、四条金吾を励まされています。

しかし、日天子は出現せず、日蓮大聖人は佐渡流罪という最悪の状況に陥ります。

なぜ諸天の加護がないのか?諸天の加護がないということは、大聖人ご自身、法華経の行者ではないのか?その疑問に答えられたのが開目抄です。

最近、思ったことですが・・・
大聖人は日天子の加護を必要とされたのか?との疑問です。

日天子が現れ、事態が好転、佐渡流罪も免れ、ハッピーエンド。それでよしとされたのでしょうか?
難が競い起こった時、諸天善神が現れ守護してくれる。大聖人の仏法はそのような仏法でしょうか?

開目抄は人本尊開顕の書であり、法華経の行者・開顕の書ではありません。

「詮ずるところは天もすて給え」

開目抄下 御書p.232

大聖人の師子吼・大誓願・大宣言がその答えであり、全てです。

法華経の行者としての証明には、日天子の出現が必要かもしれませんが、末法の御本仏の宣言に、日天子の出現や証明は必要ない。その宣言であると思います。

日天子の出現は不要になりましたが、御本仏としての証明が必要となります。

以前「竜の口・私論」で述べましたが、開目抄で引用されている涅槃経の文(御書p.233)の身読・色読をもって仏界覚知の証明とされたのではないか!

私はそう思っています。