青年日蓮~迷いと恐れ、臆病と保身を越えて

日蓮も三十二までは畏れありき。若しや此の南無妙法蓮華経を弘めずしてあらんずらんと畏れありき。今は即ち此の恐れ無く、既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし。終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし云云。

御講聞書

さてどうすべきか。

言うか言わざるか、立つか立たざるか。

青年日蓮の自問自答は尽きません。

がしかし、迷いと恐れ、臆病と保身を越えて、ひとたび妙法弘通を始めたならば日本に広め、縦は三世に、横は一閻浮提に広宣流布せんとするのです。

このようなことを、あの身延の草庵で語っていたのですから感動です。

建治年間から弘安にかけて、身延の山中で行われた法華経講義。それは弟子と山菜をとり沢の水を汲み、薪を割り米を研ぎ食事をしながら、共に生きる山中の生活が舞台です。春夏秋冬を五体で感じる、日常の合間をぬっての法門研鑽。

数字でいえば「一」という狭き環境に身を置きながらも、その心は一閻浮提と一切衆生を包む。逆に現代では「万」という恵まれた環境にいながら、その思考は自己と周囲だけ、ということが多いのではないでしょうか。

『今は即ち此の恐れ無く』

「さあ、あなたも大いなる人として生きていきましょう」

日蓮大聖人が私たちに語りかけているように思います。

                         林 信男