信行学について
日蓮大聖人の仏法のみならず、前提としての「信」、これがなければ信仰は成り立ちません。
「信」の大事について、日蓮大聖人は「信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり」(御義口伝)と教示します。
信あるところに学びと理解があり、学びと理解が深まれば信も強くなりますが、信ずるところで既に成仏は決まっているのですよ、と。
「とりあえず私はこの仏法を、御本尊を信じているから、なんだか日蓮大聖人に自分が肯定されて嬉しいような」と思うかもしれませんが、信と解(学びと理解)が同時に記されているように、信と学そして行は、切り離せない信仰の三本柱となっています。
一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候
諸法実相抄
大聖人は佐渡へ流された翌年の文永10年5月、御本尊を顕し始めたばかりにも関わらず、自らが顕す曼荼羅本尊を「一閻浮提第一の御本尊」全世界で第一の御本尊と呼称し、その御本尊への強き信、そして行学の二道を励むことを促します。ここでも、根本は「信心よりをこるべく」と信なのです。
配流地の佐渡では、大聖人と弟子檀越の妙法弘通により「佐渡日蓮教団」ともいうべき強固な日蓮一門が出来上がっていくわけですが、草創期に日蓮大聖人は門下にどのような教導をしていたのか、信仰を創るとはどのようなものなのか、それがうかがえるのが「諸法実相抄」の教示だと思います。
もちろん一人だけでは、学ぶことには限界があります。
そこに和合僧の必要というものがあり、日蓮大聖人は各地の檀越への書状で、我が弟子から法門を学ぶように勧められています。
鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等之有り、之を召して御尊び有る可し
波木井三郎殿御返事
日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもん(聴聞)あるべし
千日尼御前御返事
此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給うべし
一谷入道御書
いよ房(伊予房・日頂)は学生になりて候ぞつねに法門きかせ給へ。
富木殿女房尼御前御書
信と行は一人立つところから始まりますが、学・法門の研鑽は和合の世界で、ということなのです。
そういう意味では「教学とはまた共学・協学でもある」といえるのではないかと思います。
以上、『信行学は我が信仰と和合僧の三本柱である』ことの確認でした。
林 信男