私論「折伏について」(3)

投稿者:鬼滅の言

題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり

三大秘法禀承事 御書p.1,022

折伏について、今回は自行・化他の観点から考えてみます。

区切って意訳します。

(1)題目には二つの意義がある。いわゆる正法・像法時代の題目と末法における題目である。

(2)正法時代-天親菩薩・竜樹菩薩が題目を唱えられたけれども自行ばかりの題目であった。

(3)像法時代-南岳大師・天台大師等が南無妙法蓮華経と唱えられたが、それは自行のためであって、広く他人のためには説かなかったのである。

(4)今、末法に入って日蓮大聖人が唱えるところの題目は、正法・像法時代とは異なって、自行・化他にわたる南無妙法蓮華経である。

私たちの実践に当てはめると、自行のための題目、自身の幸福のみを願う題目は、天台・伝教の題目であり、その信仰は天台沙門と言えるかもしれません。

大聖人の題目は自行・化他にわたる題目であり、その実践です。化他つまり折伏の実践なくしては大聖人の仏法ではないということです。ここに折伏の意義があると思います。

次回は大聖人と天台・伝教-何が違うのか?その点を考えたいと思います。