私論「転重軽受」(2)
投稿者:鬼滅の言
「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」
(般泥洹経)佐渡御書 御書p.959
譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず年年にのべゆく其所を出る時に競起が如し斯れ護法の功徳力に由る故なり等は是なり
佐渡御書 御書p.960
たとえば、何々郷や何々郡に住んでいる人が、地頭から借金があったとしても、払えない時は厳しく取り立てられることもないのである。
(意訳)
お願いをすれば返済を延ばしてもらうこともできるが、その郷や郡を出る時は、厳しく取り立てられるようなものである。「護法の功徳力に由る故なり」というのはこのことである。
(1)佐渡御書では地頭からの借金がある場合、借りた人がその郷や郡を出る時は返済をし、精算しなければならない。それが護法の功徳力の例であると説かれています。
(2)日蓮大聖人の護法の功徳力とは、借金が軽くなることではありません。借金は返済しなければならないのです。そしてその借金を一括して返済することが護法の功徳力であると説かれています。
日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり
佐渡御書 御書p.960
(3)大聖人ご自身にとって護法の功徳力とは、具体的には「つよく法華経の敵を責る」ことであり、その実践によって「一時に聚り起せるなり」と、過去世の罪業すべてを今世で集め消滅したと説かれています。
次回は開目抄を参考に護法の功徳力を考えたいと思います。