私論「転重軽受」(1)
投稿者:鬼滅の言
涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候
転重軽受法門 御書p.1,000
転重軽受について考えてみます。
「先業の重き」を「過去世の借金」に置き換えて解釈します。
涅槃経に転重軽受という法門がある。過去世に莫大な借金があり今世では到底、支払うことができないのである。
それならば来世・再来世・ローンを組んで払い続けるという、地獄の苦しみを受けなければならないのであるが、今生にこのような、きつい仕事をしたおかげで一括返済することができたのである。
その地獄の苦しみがパッと消えた後は、人間らしい喜びに満ちた人生を送れるのである。
さらには人のために尽くし、人をも救っていける境涯にもなるのである。
般泥洹経に云く「善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ」
佐渡御書 御書p.959
「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」
(1)般泥洹経では過去世の重罪により、現世で苦しみの報いを受けなければならないのであるが、護法の功徳力によって軽く受けることができる。
これが転重軽受の法理であると説かれています。
借金で言うと、過去世の借金が護法の功徳力によって、今世では軽減されるという捉え方になります。
(2)日蓮大聖人の転重軽受の捉え方は般泥洹経とは違うように思います。
大聖人の転重軽受とは、護法の功徳力によって、借金が軽減されるのではありません。借金は払わなければならないのです。
しかし、護法の功徳力によって、その借金を一括返済できると説かれています。それが大聖人の転重軽受であり。護法の功徳力であると思います。
(3)般泥洹経では「現世に軽く受く」とありますが、転重軽受法門では 「今生にかかる重苦に値い候へば」とあります。最近、気が付いたのですが、この点も違いがあります。
護法の功徳力については、次回、佐渡御書、開目抄を参考に考えたいと思います。