【投書】摩訶・私感「2月29日」(1)
投書者:鬼滅の言
4年に1度の閏年、その2月29日(火)・阪神淡路大震災から5年。池田先生は長田文化会館を初訪問されました。閏年でなければ3月1日に当たる日です。
池田先生は時を大切にされます。私は先生の思いとして3月の長田文化会館訪問はあり得ない、訪問するのであれば2月、との思いがあったのではないかと感じています。
2月といえば厳寒の季節です。しかし3月では春のイメージです。先生の思いはやはり2月にあったと思います。
1995年1月17日・阪神淡路大震災。震災の一報を受けられた先生は、
「ただちに全力で、救援せよ。考えつく、すべてのことをせよ」
潮2011年1月号
と、指示を出されました。
その後、どうしてもキャンセルができないハワイ東西センターでの講演へ。2月2日にハワイから関西入り。2月4日・関西文化会館で追善法要勤行が行われました。
「開会前は重たい生命で、また自身を責めるような生命で待っていました。場内も誰一人、話すこともなく重苦しい空気につつまれていました。その時、突然『もう大丈夫だ!』と右手を挙げ先生が入ってこられたのです。その時、ガラッと生命が変わりました」
と、参加した幹部の方が後年、話してくれました。
1995年2月の追善法要勤行から2000年2月の長田文化会館訪問へ池田先生の思いは繋がっていたように思います。
私は長田区在住ではありませんが、神戸市に住む一人として先生への感謝を新たにする日でもあります。
追善法要勤行、そして長田文化会館での先生のご指導の内容は当時は分かりませんでした。数年後に少し聞くことができたという状況です。
次回は池田先生がどのようなご指導をされたにかを断片的ではありますが、まとめてみたいと思います。
本日、オンライン自活座談会(録画)に参加しました。先生に対する熱い思いに触れることができましたので、触発をうけ投稿させていただきました。よろしくお願いします。